松平重正
江戸時代前期の大名。下野皆川藩2代藩主。従五位下・玄蕃頭。松平重則の長男。重則流能見松平家2代
松平 重正(まつだいら しげまさ)は、江戸時代前期の大名。下野国皆川藩2代藩主。官位は従五位下・玄蕃頭。
時代 | 江戸時代前期 |
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生誕 | 元和9年(1623年) |
死没 | 寛文2年9月2日(1662年10月13日) |
改名 | 内匠、太郎八(幼名)→重正 |
戒名 | 見生院殿忍誉得翁郭源大居士 |
墓所 | 東京都千代田区麹町の心法寺 |
官位 | 従五位下玄蕃頭 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川家光→家綱 |
藩 | 下野皆川藩主 |
氏族 | 能見松平家 |
父母 | 父:松平重則、母:屋代秀正娘・称光院 |
兄弟 |
重正、西郷延員正室、神保茂明継室、 松平勝隆養女 |
妻 | 正室:松平正綱娘・勢光院 |
子 | 重利、松平正信養女、伊奈忠常室 |
略歴
編集初代藩主・松平重則の長男として誕生。
寛永9年(1633年)、3代将軍・徳川家光と拝謁する。寛永18年(1642年)に父が死去したため、寛永19年(1642年)に19歳で跡を継ぎ、翌20年(1643年)8月、初めて領地へ入封した。万治2年(1661年)12月28日に叙任するが、寛文2年(1662年)に死去した。享年40。
跡を長男・重利が継いだ。