松平 正世(まつだいら まさよ)は、江戸時代前期の越前国福井藩家老。高知席松平主馬家初代当主。通称は靫負、庄兵衛、備前。

 
松平正世
時代 江戸時代前期
生誕 天正15年(1587年
死没 寛永5年8月12日1628年9月9日
別名 通称:靫負、庄兵衛、備前
主君 松平忠輝忠昌
信濃川中島藩越後高田藩越前福井藩
氏族 長沢松平家(松平主馬家)
父母 父:松平近清
兄弟 山田重辰室、清直正世
野々山吉範室、土井利勝正室
正詮松平清直養女
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略歴

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天正15年(1587年長沢松平家の一族松平近清の子として誕生。長沢松平宗家を継いだ松平忠輝に兄・清直と共に仕えた。

元和2年(1616年)、忠輝の改易によって正世たち家臣は離散した。

後に兄は交代寄合として旗本に取り立てられた。正世は松代藩主だった松平忠昌に1500石で召抱えられた。元和4年(1618年)1500石を加増され庄兵衛と名乗る。元和6年(1620年)、越後高田にて1000石を加増。 忠昌が越前松平家の本家を相続し、福井藩主となると寛永2年(1625年)、正世は越前で2000石を加増され禄高6000石。家老となり名を備前と改める。

寛永5年(1628年)8月12日療養先の有馬温泉で死去。享年42。

子孫は、代々福井藩の家老を輩出する高知席の一家として続き、明治維新を迎えた。分家の子孫に男爵松平正直がいる。

参考文献

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  • 『越藩史略』