松平 斉良(まつだいら なりよし)は、江戸時代後期の石見国浜田藩の世嗣。江戸幕府11代将軍・徳川家斉の二十男。12代将軍徳川家慶の異母弟にあたる。

 
松平斉良
時代 江戸時代後期
生誕 文政2年10月24日1819年12月11日
死没 天保10年6月22日1839年8月1日
改名 徳之佐(幼名)、斉良
戒名 大智院殿晃山大居士
官位 上総介侍従
石見浜田藩世嗣
氏族 徳川将軍家越智松平家
父母 徳川家斉皆春院
松平斉厚
兄弟 清湛院徳川家慶徳川敦之助峰姫
徳川斉順浅姫徳川虎千代、元姫、
徳川斉明、文姫、徳川斉荘、盛姫、
池田斉衆溶姫、和姫、斉民末姫
喜代姫徳川斉温斉良永姫
徳川斉彊斉善蜂須賀斉裕斉省
斉宣泰姫ら26男27女
松平斉厚
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略歴

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上野国館林藩主・松平武厚(斉厚)の養子となり、武厚の娘を正室とする。元服し、父・家斉から偏諱を受けて斉良と名乗り、養父武厚も斉厚と改名した。天保7年(1836年)には斉厚が石見浜田に国替えとなったが、斉良は3年後の天保10年(1839年)に死去した。

代わって高松松平家出身の武揚(正室は斉良正室の妹)が斉厚の養子となった。