松平 武揚(まつだいら たけおき)は、江戸時代後期の大名石見国浜田藩第2代藩主。官位従四位下右近衛将監越智松平家第6代当主。

 
松平 武揚
時代 江戸時代後期
生誕 文政10年6月14日1827年7月7日
死没 天保13年7月28日1842年9月2日
改名 鋭之助(幼名)→武揚
戒名 詣山大乗院
墓所 島根県浜田市殿町の妙智寺
官位 従四位下右近衛将監
幕府 江戸幕府
主君 徳川家慶
石見浜田藩
氏族 高松松平家越智松平家
父母 父:松平頼恕、母:野宣勝成の娘
養父:松平斉厚
兄弟 頼煕武揚勝成頼聰大久保忠礼
光安姫、晴姫、郁姫
正室:松平斉厚の娘
養子:武成
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略歴

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讃岐国高松藩主・松平頼恕の次男(三男とも)として高松にて誕生。母は側室・野宣勝成の娘。幼名鋭之助

先代藩主・松平斉厚天保10年(1839年)に死去したため、その婿養子として跡を継ぐ。天保11年(1840年)12月に叙任するが、天保13年(1842年)7月28日、浜田で死去した。享年16。嗣子はなく、通常は末期養子が認められる年齢でもなかったが、御家門ということで配慮もあり、従兄にあたる武成松平義建の三男)が跡を継いだ。法号は詣山大乗院。墓所は島根県浜田市殿町の妙智寺

系譜

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