松平 康納(まつだいら やすなり)は、江戸時代旗本

 
松平 康納
時代 江戸時代前期 - 中期
生誕 寛文12年(1672年
死没 元文5年4月10日1740年5月5日
改名 康納→青山(致仕名)→本浄(法名)
別名 源太郎、久之丞
墓所 天徳寺
官位 従五位下阿波守、主計頭
幕府 江戸幕府旗本 小姓組日光奉行、小姓組番頭、留守居
主君 徳川綱吉家宣家継吉宗
氏族 松井松平家
父母 父:松平康富、母:亀井茲政の娘
養父:松平康雄
兄弟 養兄弟:康忠、康直、康実、親喜
前妻:松平重花の娘
後妻:井戸良弘の娘
康詮康年
養子:石谷眞清室(亀井茲堅の娘)
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経歴

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井伊掃部頭家の家臣・松平康富の子として生まれ、松平康雄の養子となる。元禄8年(1695年)7月11日、養父の遺跡を継ぐ。元禄12年(1699年)8月2日に小姓並となり、元禄13年(1700年)8月13日に小姓組に列する。宝永2年(1705年)12月2日、従五位下阿波守に叙任される。正徳3年(1713年)8月13日に日光奉行となり、享保12年(1727年)6月28日小普請組支配に入り、享保13年(1728年)9月28日に小姓組番頭、享保16年(1731年)2月5日に留守居となる。元文4年(1739年)8月21日に職を辞し、11月27日に致仕。元文5年(1740年)4月10日、69歳で死去。

系譜

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参考文献

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