松平 康朗(まつだいら やすあきら)は、江戸時代初期の旗本

 
松平 康朗
時代 江戸時代前期
生誕 寛永2年(1625年
死没 慶安2年9月17日1649年10月22日
改名 康朗→正哲(法名)
別名 伝十郎、左近
墓所 天徳寺
幕府 江戸幕府旗本
主君 徳川家光
氏族 松井松平家
父母 父:松平康政、母:酒井忠勝の娘
兄弟 康朗水野勝貞室(酒井忠勝養女)
池田長賢の娘
康寛中川重興
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経歴

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松平康政の長男として生まれる。寛永17年(1640年)8月23日、祖父・康重の遺領のうち5000石を分与され、叔父・康映播磨国に移封されると佐用郡から所領を分け与えられ、寄合に列した。慶安2年(1649年)9月17日に25歳で死去。

系譜

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参考文献

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