松尾寛三
松尾 寛三(まつお かんぞう、1859年10月8日(安政6年9月13日[1][2][3])- 1922年(大正11年)6月15日[2][4])は、明治から大正期の実業家、政治家。衆議院議員。
経歴
編集肥前国松浦郡、のちの佐賀県[4]西松浦郡大山村[5](西有田村、西有田町[2]を経て現有田町)で、松尾藤九郎の長男として生まれる[1][2][3][6]。和漢学を修めた[1]。1887年(明治20年)4月、家督を相続した[1][3]。
相続した多額の資材を元に各種企業の重役に就任[1]。留萌炭鉱専務取締役、小樽漁港取締役、帝国瓦斯電燈取締役、松尾工場取締役、南洋製糖取締役、日本勧業銀行監査役、東洋捕鯨監査役、浦賀船渠監査役、東京醤油監査役、亜鉛工業監査役、深川造船所監査役、佐賀紡績監査役、日本銑鉄監査役、東洋油脂監査役、深川製磁監査役、天草電灯社長などを務めた[1][2][3][4][5][6]。
1894年(明治27年)9月、第4回衆議院議員総選挙で佐賀県第2区から立憲革新党所属で初当選し[2][7]、1898年(明治31年)3月の第5回総選挙(佐賀県第2区、自由党)でも再選され[7]、衆議院議員に連続2期在任した[2][4][5]。
脚注
編集参考文献
編集- 清田伊平編『日本ダイレクトリー : 御大典紀念』甲寅通信社編集部、1915年。
- 人事興信所編『人事興信録 第4版』人事興信所、1915年。
- 『衆議院議員総選挙一覧 上巻』衆議院事務局、1915年。
- 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』衆議院事務局、1940年。
- 『大正過去帳 物故人名辞典』東京美術、1973年。
- 『佐賀県大百科事典』佐賀新聞社、1983年。
- 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。