東昌寺 (仙台市)
東昌寺(とうしょうじ)は、宮城県仙台市青葉区青葉町にある臨済宗東福寺派の寺院である。仙台の北山に並ぶ禅寺北山五山の一つ。山号は無為山。本尊は釈迦如来。
東昌寺 | |
---|---|
所在地 | 宮城県仙台市青葉区青葉町8-1 |
位置 | 北緯38度16分57.4秒 東経140度51分49.8秒 / 北緯38.282611度 東経140.863833度 |
山号 | 無為山 |
宗派 | 臨済宗東福寺派 |
寺格 | 安国寺、諸山 |
本尊 | 釈迦如来 |
創建年 | 弘安6年(1283年) |
開基 | 伊達政依、慧雲 |
中興年 | 慶長12年(1607年) |
中興 | 伊達政宗 |
正式名 | 無為山安国東昌禅寺 |
札所等 | 北山五山 |
文化財 | 伊達政宗木像 ほか |
公式サイト | 臨済宗東昌寺 |
法人番号 | 3370005000633 |
鎌倉時代に伊達政依によって陸奥国伊達郡桑折(現在の福島県北部)に建立され、伊達氏代々の保護を受けた。陸奥国の安国寺に指定され、また東北地方で諸山とされたのは瑞巌寺と当寺のみである。伊達氏に従って米沢、岩出山を経て慶長5年(1600年)に仙台に移転し、現在に至る。
歴史
編集中世
編集13世紀後半、陸奥国伊達郡桑折に伊達政依が創建した5か寺の中の一つで、弘安6年(1283年)の創建と伝えられる。開山は臨済宗の僧慧雲[1]。政依が建立した寺は東昌寺を含めて5つあり、伊達五山と総称される。
室町時代初期足利尊氏・直義兄弟が全国に設けた安国寺利生塔のうち、陸奥国における安国寺に指定された。
永禄3年(1383年)に伊達宗遠が出羽国の米沢郷夏刈(現在の山形県高畠町北西部)に移した[1]。
近世
編集伊達政宗が岩出山城に転封されたとき岩出山に移り、岩出山に東昌寺址の地名を残した[1]。
さらに慶長5年(1600年)、仙台城の築城にあわせて仙台の北山に移された。現在地とその西隣の青葉神社の地をあわせた場所である。寛永20年(1643年)に寺領として300石を与えられた。仙台藩が定めた寺格は最高の一門格である。寺には一風院、雲門院、護国院、知松院、乾徳院の5つの塔頭が付属した[2]。
近現代
編集明治に入ってから藩の保護は失われ、寺領も取り上げられ、塔頭は相次いで廃止になった。明治6年(1873年)に境内の西半分を新設の青葉神社に譲り、建物を東側に移した。明治9年(1876年)に火災にあい、主要建物を喪失した。その後長く仮堂で過ごし、明治33年(1900年)になってようやく殿堂・庫裏の再建がなった。
年表
編集- 弘安6年(1283年) - 創建。
- 永徳3年(1383年) - 米沢に移転。
- 天正18年(1590年) - 岩出山に移転。
- 慶長5年(1600年) - 北山に移転。
- 慶長17年(1612年) - 塔頭5院を立てた。
- 嘉永元年(1848年) - 殿堂など修理寛政。
- 1873年(明治6年) - 青葉神社に土地を割き建物を移す。
- 1876年(明治9年)4月18日 - 火災で主要建築物を焼失。
- 同年6月 - 仮堂の建立。
- 1898年(明治31年) - 知松院が火災で焼失。
- 1900年(明治33年)3月 - 殿堂、庫裏の竣工。
- 1952年(昭和27年) - 山門の改築。
- 1995年(平成7年)3月20日 - 東昌寺のマルミガヤが国の天然記念物に指定された[3]。
- 1997年(平成9年) - 会館と庫裏を建て直した[4]。
文化財
編集脚注
編集参考文献
編集- 仙台市史編纂委員会『仙台市史』第7巻、萬葉堂、復刻版1975年。初版は仙台市役所により1953年発行。
外部リンク
編集- 仙台市教育委員会. “仙台市の指定・登録文化財”. 仙台市. 2010年6月4日閲覧。
- 臨済宗東昌寺. “臨済宗東昌寺”. 2019年9月4日閲覧。