東公園 (岡崎市)
東公園(ひがしこうえん[注 1])は、愛知県岡崎市欠町にある都市公園(総合公園)である[2]。1928年(昭和3年)4月に開園した[3]。
東公園 Higashi Park | |
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東公園の紅葉 | |
分類 | 都市公園(総合公園) |
所在地 | |
座標 | 北緯34度57分10.9秒 東経137度11分30.8秒 / 北緯34.953028度 東経137.191889度座標: 北緯34度57分10.9秒 東経137度11分30.8秒 / 北緯34.953028度 東経137.191889度 |
面積 | 26.91ha[1] |
開園 | 1928年(昭和3年)4月 |
運営者 | 岡崎市 |
設備・遊具 | 東公園動物園、花菖蒲園、恐竜広場、屋外ステージ |
駐車場 | あり(320台) |
公式サイト | 岡崎市東公園 |
概要
編集東公園動物園も含め入園は無料である(旧本多忠次邸のみ有料)[4]。園内にはいくつかの池があるが、これらはもともと灌漑用の溜池として使われていたものである。春にはサクラ、初夏はハナショウブやアジサイ、秋には紅葉が楽しめる。岡崎観光きらり百選に選定されている。
施設
編集東公園動物園
編集1983年(昭和58年)5月1日、オープン[5]。入園は無料。開園時間は9時から16時30分まで。休園日は月曜日(月曜日が祝日の場合は翌日以降の最初の祝日でない日)と年末年始(12月29日~1月2日)[6]。
アジアゾウの「ふじ子」、ニホンジカ、ミニチュアホース、ポニー、ラマ、ニホンザル、リスザル、プレーリードッグ、ミーアキャット、マーラ、フラミンゴ、クジャク、キバタン、アオボウシインコ、ルリコンゴウインコ、ヒツジ、シバヤギ、ケヅメリクガメ、ウサギ、モルモットなどが飼育されている。また、小動物と触れ合うことのできる「動物ふれあい広場」がある[7][8]。
動物園ができた経緯、ゾウのふじ子(スリランカにて1968年4月10日誕生)が来た経緯は次のとおりである。
1980年(昭和55年)、岡崎公園内において歴史博物館(三河武士のやかた家康館)の建設工事が始まった[9]。
1981年(昭和56年)9月、家康館の工事に伴い、岡崎公園内の動物園の一部を東公園に移設することが、市議会で報告された[10]。
1982年(昭和57年)7月、岡崎市の親善都市・福山市の市議会議長で、当時全国市議会議長会の会長を務めていた門田武雄[11]が岡崎市を訪問。同市の世界家畜動物園構想[12]に共鳴した門田は、自身の経営する遊園地「赤坂遊園」に住むふじ子を贈呈することを申し出た[13]。門田と親しかった中根鎭夫市長らが譲ってほしいと要望したとも言われている[14]。同年12月8日、ふじ子は岡崎市に到着。動物園の開園に先立つ12月18日に象舎落成式が行われた[15]。
2017年(平成29年)4月29日、新しいゾウ舎が完成した[16]。
花菖蒲園
編集1964年(昭和39年)にオープン。毎年6月「菖蒲まつり」が開催され、夜間はライトアップが行われる。
2,900m2の花菖蒲園には90~110品種[注 2]、10,000株のハナショウブがある。
岡崎市動物総合センター・Animo
編集2008年(平成20年)3月29日、オープン。当センターは、市と保健所が受け持つ動物愛護、動物園管理、野生動物保護、農務課畜産班の業務を集約する施設として設置された。愛称の「Animo(あにも)」は全国1,683点の応募の中から選ばれた。市の選考の結果、8点が候補に絞られ、そこから市民による投票で決められた[17]。
当センターのオープン日に前述の「動物ふれあい広場」もオープンした[5]。
恐竜モニュメント
編集2014年(平成26年)、市内在住の篤志家が内田康宏市長に面会した際、内田が東公園の一部を「恐竜の森」として整備する構想を話すと、篤志家は1億円の寄付を申し出た[18][注 3]。この寄付金を元手に5体の恐竜のモニュメント(ブラキオサウルス、ティラノサウルス、プテラノドン、トリケラトプス2体)が時計塔前広場に設置されることとなった。
2015年(平成27年)3月29日、オープン[20]。高さ14メートルのブラキオサウルスは国内最大級だという。
その後さらに篤志家から寄付があり、2018年(平成30年)3月1日、体長9メートル、高さ3.6メートルの原寸大のトリケラトプスと、背中部分にすべり台のついたスピノサウルスが設置された。また、恐竜が横に座る木製ベンチ4基が設置された。これらモニュメントのある一角は「恐竜広場」に改称した[21][22]。
多目的広場
編集2019年(平成31年)4月17日、市は多目的広場に大型の木製遊具などを並べた「木製遊具広場」を整備すると発表した。恐竜モニュメントを2度にわたって寄贈した篤志家が製作費、設置費込みで遊具を寄贈。寄付相当額は約5,000万円。同年8月26日、階段付きの滑り台や帆船をかたどった遊具など12種類13基が広場の外周に沿って設置された。同時に、熱中症対策のために植栽も行われた[23][24]。
旧本多忠次邸
編集2012年(平成24年)7月6日、オープン[25][26]。沿革は下記のとおり。
本多忠次は子爵本多忠敬の次男として、1896年(明治29年)7月、東京市本郷区(現・文京区)に生まれた[27]。忠次は敷地選定から建築基本設計を自身で手がけ、1931年(昭和6年)から1932年(昭和7年)にかけて、東京府荏原郡駒沢町(現・東京都世田谷区野沢3丁目)にスパニッシュ様式を基調とした住宅を建築した[28][29]。1999年(平成11年)8月、本多忠次が死去。これに伴い約7億円の相続税の支払い問題が発生した[30]。2000年(平成12年)2月14日、世田谷区教育委員会の文化財担当者は、本多家とのゆかりの深い岡崎市に、忠次の邸宅の移築復元を検討してもらえないかと打診[31][32]。同年4月4日、中根鎭夫市長ならびに市職員ら13名は現地を視察[30]。5月19日、所有者本多家から寄付の申出があり、協議が成立。邸宅は5月30日に解体され、建築部材は7月にかけて4トントラック12回に分けて岡崎市へ搬入された[31][33]。移送された部材は市でしばらく保管され、2008年(平成20年)4月、邸宅と壁泉の一部を東公園に移築することが決定[31]。2012年(平成24年)1月31日に復元工事が完了した[28]。
2014年(平成26年)10月7日、「旧本多家住宅主屋」として国の登録有形文化財に登録された[34][35]。
その他の施設・見どころ
編集- 本多光太郎資料館
- 志賀重昂の墓と銅像 - 墓は1930年(昭和5年)に、銅像は1975年(昭和50年)に建立された。
- 南北亭 - 志賀重昂が世界各地で収集した木、竹、石を用いて1911年(明治44年)に東京市代々木の自邸内に建てた。元の名を「四松庵」という。1929年(昭和4年)に移築した際に名を改めた。
- 等澍庵 - 1831年(天保2年)に建てられたと言われている。茶道宗徧流の再興者として知られる不蔵庵龍渓が設計した。1983年(昭和58年)に移築された[36]。
- 世尊寺
- 岡田撫琴の句碑 - 等澍庵の隣にある。
- 藤井達吉の歌碑
- 近藤孝太郎の歌碑 - 世尊寺の境内にある。
- 海の記念碑 - 1977年(昭和52年)3月13日に岡崎市海友会によって建立された。防衛庁からの払い下げで入手した戦艦長門の後部甲板の副錨も併せて設置された[37]。
ギャラリー
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ゾウの「ふじ子」
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花菖蒲園
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動物ふれあい広場
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岡崎市動物総合センター Animo
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紅葉
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あしのべ池
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等澍庵
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南北亭
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志賀重昂の墓
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世尊寺
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恐竜モニュメント
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旧本多忠次邸
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旧本多忠次邸の日光室
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多目的広場(2016年)
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多目的広場(2019年)
交通アクセス
編集交通規制
編集南駐車場内とその入口道路(約30m程度)は大型貨物自動車駐車禁止である。なお大型貨物自動車に限らず、バスなどの中型・大型乗用自動車も基本的に駐車禁止の管理趣旨である。
脚注
編集注釈
編集出典
編集- ^ 東公園 | 岡崎市ホームページ
- ^ 岡崎市都市公園一覧 Archived 2013年11月4日, at the Wayback Machine.
- ^ 『新編 岡崎市史 総集編 20』新編岡崎市史編さん委員会、1993年3月15日、309頁。
- ^ 旧本多忠次邸 | 岡崎市ホームページ
- ^ a b “東公園動物園”. 岡崎いいとこ風景ブログ. 岡崎市まちづくりデザイン課 (2012年5月5日). 2021年7月20日閲覧。
- ^ 岡崎市東公園動物園 | 岡崎市ホームページ2018年11月24日閲覧
- ^ 東公園動物園の動物たち | 岡崎市ホームページ
- ^ ふれあいのご案内 | 岡崎市ホームページ
- ^ “岡崎市議会 昭和57年3月 定例会 03月25日-06号”. 岡崎市 会議録検索システム. 2020年7月23日閲覧。
- ^ “岡崎市議会 昭和56年9月 定例会 09月09日-15号”. 岡崎市 会議録検索システム. 2020年7月23日閲覧。
- ^ 全国市議会議長会 :全国市議会議長会について :歴代会長
- ^ “岡崎市議会 昭和57年9月 定例会 09月08日-13号”. 岡崎市会議録検索システム. 2020年9月13日閲覧。
- ^ 『東海愛知新聞』1983年1月3日、「サル山など空堀式 岡崎・東公園の動物園」。
- ^ 杉山果奈美 (2023年5月22日). “来園40年超、岡崎・東公園動物園のゾウ「ふじ子」 変わる飼育、愛情柵越し”. 中日新聞. 2023年5月22日閲覧。
- ^ 『東海愛知新聞』1982年12月9日、1面、「象さん、東公園に着く 福山から岡崎へ600キロの長旅」。
- ^ 今井亮 (2017年4月28日). “待たせたゾウ 東公園 ふじ子の“家”あすオープン”. 東海愛知新聞 2017年5月2日閲覧。
- ^ “「Animo」に決まる 動物総合センターの愛称候補8点から市民投票で”. 東海愛知新聞. (2007年11月27日) 2015年9月23日閲覧。
- ^ “大恐竜がやってくる! その1(ことの始まり)”. 内田康宏のブログ (2014年6月7日). 2021年12月30日閲覧。
- ^ “市政だより おかざき No.1271” (PDF). 岡崎市役所. pp. 4-5 (2015年9月1日). 2020年3月8日閲覧。
- ^ 恐竜モニュメント完成記念イベント | 岡崎市ホームページ
- ^ 森田真奈子 (2018年3月2日). “恐竜像、新たに2体 岡崎の東公園、市民寄付でベンチも”. 中日新聞. オリジナルの2018年3月4日時点におけるアーカイブ。 2022年1月10日閲覧。
- ^ 今井亮 (2018年2月27日). “新たな恐竜仲間入り 岡崎市東公園 来月1日から一般公開”. 東海愛知新聞 2018年3月3日閲覧。
- ^ “東公園に木製遊具広場 大型13基9月オープン”. 東海愛知新聞. (2019年4月18日) 2019年4月18日閲覧。
- ^ “東公園の木製遊具が完成しました”. 内田康宏のブログ (2019年8月31日). 2021年5月31日閲覧。
- ^ 横田沙貴 (2022年1月5日). “近代化遺産保存の意義 旧本多忠次邸開館から10周年”. 東海愛知新聞新聞 2022年1月6日閲覧。
- ^ “岡崎に徳川四天王の末孫・本多忠次の邸宅復元 - 東京から移築”. 岡崎経済新聞. (2012年6月15日) 2013年1月19日閲覧。
- ^ 『岡崎市旧本多忠次邸移築復元工事報告書』岡崎市教育委員会、2013年3月、38頁。
- ^ a b “旧本多忠次邸の復元について 旧本多忠次邸復元工事”. 丸ヨ建設工業. 2021年6月14日閲覧。
- ^ “旧本多忠次邸施設概要”. 岡崎ホームぺージ (2014年5月31日). 2023年1月26日閲覧。
- ^ a b “岡崎市議会 平成13年12月 定例会 12月05日-23号”. 岡崎市会議録検索システム. 2021年6月14日閲覧。
- ^ a b c 『岡崎市旧本多忠次邸移築復元工事報告書』岡崎市教育委員会、2013年3月、27-30頁。
- ^ “愛知登文会・文化財紹介【2015年総会】” (PDF). 愛知登文会. pp. 12-13. 2021年6月14日閲覧。
- ^ 福沢和義 (2020年10月19日). “<みかわの名建築>(1) 旧本多忠次邸(岡崎市欠町)”. 中日新聞 2021年6月14日閲覧。
- ^ “旧本多家住宅主屋”. 国指定文化財等データベース. 2020年9月27日閲覧。
- ^ “『おかしん』2017年7月号” (PDF). 岡崎信用金庫. 2021年6月14日閲覧。
- ^ 等じゅ庵・南北亭 | 岡崎市ホームページ
- ^ 『東海愛知新聞』1977年2月16日。