控訴院
日本のかつての裁判所
(東京控訴院から転送)
この記事は特に記述がない限り、日本国内の法令について解説しています。また最新の法令改正を反映していない場合があります。 |
控訴院(こうそいん、英語: Court of Appeal)は、大審院の下級、地方裁判所の上級に置かれた裁判所。裁判所官制(明治19年勅令第40号、実効性喪失[1])及び裁判所構成法(明治23年法律第6号、1947年(昭和22年)廃止)に基づき、1886年(明治19年)から1947年(昭和22年)まで、日本各地にあった。裁判所法(昭和22年法律第59号)の高等裁判所に相当する。1947年(昭和22年)の改組時には、東京・大阪・宮城(仙台)・広島・名古屋・札幌・福岡の7ヶ所に置かれていた。
控訴院は、内地において、地方裁判所の判決に対する控訴の裁判を行った。東京控訴院では、民間人と皇族との間に起きた民事訴訟の第一審も扱った。長崎控訴院では、治外法権区域(租界)の領事裁判所の控訴審も扱った[注釈 1]。
沿革
編集- 1875年(明治8年) - 東京・大阪・長崎・福島に上等裁判所が設置される[3]。3か月足らずで福島上等裁判所が宮城(仙台)に移転し、宮城上等裁判所となる[4]。
- 1881年(明治14年) - 控訴裁判所に改称[5]。また、函館にも設置された[6][7]。
- 1882年(明治15年) - 広島[8]・名古屋[9]に設置される。
- 1886年(明治19年) - 控訴院に改称[10]。
- 1921年(大正10年) - 函館控訴院が札幌に移転する[11]。
- 1945年(昭和20年) - 高松に設置[12](半年で廃止[13])。また、長崎控訴院が福岡に移転する[12]。
- 1947年(昭和22年) - 裁判所法の施行により、高等裁判所に改組される。改組時には、控訴院は東京・大阪・宮城(仙台)・広島・名古屋・札幌・福岡の7ヶ所に置かれていた。なお、高等裁判所は、この7ヶ所と高松に置かれた(東京高等裁判所、大阪高等裁判所、仙台高等裁判所、広島高等裁判所、名古屋高等裁判所、札幌高等裁判所、福岡高等裁判所、高松高等裁判所)。
管轄
編集地方裁判所 | 1913年[14] | 1916年[15] | 1921年[16] | 1945年[17] | 1946年[18] |
---|---|---|---|---|---|
東 京・横 濱 浦 和・千 葉 水 戸・宇都宮 前 橋・甲 府 長 野・新 潟 |
東京 | 東京 | 東京 | 東京 | 東京 |
静 岡 | 名古屋 | ||||
京 都・大 阪 神 戸・奈 良 大 津・和歌山 |
大阪 | 大阪 | 大阪 | 大阪 | 大阪 |
徳 島・高 松 高 知 |
髙松 | ||||
名古屋・安濃津 岐 阜・金 澤 富 山 |
名古屋 | 名古屋 | 名古屋 | 名古屋 | 名古屋 |
福 井 | 大阪 | ||||
廣 島・山 口 岡 山・鳥 取 松 江 |
廣島 | 廣島 | 廣島 | 廣島 | 廣島 |
松 山 | 髙松 | ||||
長 崎・佐 賀 福 岡・大 分 熊 本・鹿兒島 宮 崎・那 覇 |
長崎 | 長崎 | 長崎 | 福岡 | 福岡 |
仙 臺・福 島 山 形・盛 岡 秋 田・青 森 |
宮城 | 宮城 | 宮城 | 宮城 | 宮城 |
函 館・札 幌 樺 太 |
函館 | 函館 | 札幌 | 札幌 | 札幌 |
根 室 | → 釧路地方裁判所 | ||||
旭 川 | ✕ | 函館 | 札幌 | 札幌 | 札幌 |
釧 路 | ✕ |
各控訴院画像
編集参考文献
編集脚注
編集注釈
編集- ^ 領事官ノ職務ニ関スル法律[2](明治32年法律第70号)12条1項。
出典
編集- ^ 裁判所官制 日本法令索引(法令沿革に実効性喪失と記載されている。) 2023年2月12日閲覧
- ^ “領事官ノ職務ニ関スル法律”. 日本法令索引. 2023年2月10日閲覧。
- ^ 東京裁判所 1875, pp. 70–72.
- ^ 東京裁判所 1875, p. 76.
- ^ 内閣官報局 1881, p. 160.
- ^ 内閣官報局 1881, pp. 31–40.
- ^ 函館地検の沿革 函館地方検察庁 2023年2月12日閲覧
- ^ 広島控訴院 1909, p. 11.
- ^ 名古屋高等裁判所の紹介 裁判所 2023年2月12日閲覧
- ^ 裁判所官制 国立公文書館デジタルアーカイブ 2023年2月12日閲覧
- ^ 官報 1921年04月08日 函館控訴院ノ移転ニ関スル法律(大正10年法律第51号)
- ^ a b 官報 1945年08月01日 高松控訴院ノ設立等ニ関スル件(昭和20年勅令第443号)
- ^ 官報 1946年01月09日 高松控訴院ノ廃止等ニ関スル件(昭和21年勅令第3号)
- ^ 官報 1913年04月07日
- ^ 官報 1916年03月07日
- ^ 官報 1921年04月08日
- ^ 官報 1945年08月01日
- ^ 官報 1946年01月09日