勅令
勅令(ちょくれい)とは、天皇・皇帝・国王などの君主が直接発する命令・法令のこと。日本においては、法令の一形式で、天皇が発した法的効力のある命令を指す。対して勅許(ちょっきょ)とは、天皇の許可を指し、勅令による免許を意味する。
沿革
編集1886年(明治19年)2月26日 公文式が勅令第1号として制定され、勅令という法形式が定められた。
1947年(昭和22年)5月2日、外国人登録令(昭和22年勅令第207号)が最後の勅令として制定された(この翌日に日本国憲法が施行された)。
概要
編集大日本帝国憲法
編集大日本帝国憲法第9条に定められていた法形式であり、法律を執行するため又は公共の安寧秩序を保持し、及び国民の幸福を増進するために天皇が制定していた。憲法上、法律事項とされていない事項を対象とする場合は勅令による制定が可能であった。法律事項以外でも、軍に関することは軍令で、皇室に関することは皇室令で定めていたので、これらを除いたものが勅令事項とされていた。
日本国憲法
編集日本国憲法施行後は、法律事項となったものを規定するものを除き、昭和22年政令第14号(日本国憲法施行の際現に効力を有する勅令の規定の効力等に関する政令)第1項の規定により、政令と同一の効力を有するものとされており、位階令など一部には現在でも効力を有しているものがある。現在、勅令(法律の効力を持ついわゆる「ポツダム勅令」を除く。)は、前述のように政令としての効力があるため、その廃止や改正は政令により行われている。
勅令の公布手続
編集勅令の公布手続は1886年制定の公文式及び1907年制定の公式令によって定められていた。公式令によれば、法律と同様に上諭を付けて公布され、天皇の御名 御璽の後に内閣総理大臣、場合によっては内閣総理大臣及び当該勅令条項を主管する国務大臣、あるいは内閣総理大臣以下全ての国務大臣による副署を加えて公布された。
緊急勅令
編集「緊急勅令」とは、大日本帝国憲法第8条に基づき緊急時の法律に代わるものとして天皇が発布した命令である。緊急命令の一種ではあり、明治憲法下では勅令の形で行われた。緊急の際、法律事項について天皇が議会にかけずに発することができた[1]。法形式として命令に属してはいたものの、法律と同等の効力が認められた[1]。帝国議会の閉会中、公共の安全を保持し、またはその災厄を避けるため緊急の必要があるときに発する立法的緊急勅令(第8条)のほか、内外の状況によって帝国議会を召集できないときに財政上必要な処分をおこなうために発することを可とした、第70条規定の財政的緊急勅令があった[1]。
主要な勅令
編集以下の一覧で示されるものの大半は廃止されるか失効している。現に効力を有する又は有すると判断されているものについてはその旨特記する。
- 明治時代
- 大正時代
- 昭和時代
特別な勅令
編集前年度予算施行
編集大日本帝国憲法下においては、予算不成立の場合、前年度予算を施行する(第71条)となっていたが、これを行う場合、勅令でその旨を公布した。
勅令一覧
編集- 明治二十五年度予算不成立ニ附キ前年度予算施行ノ件(明治25年3月18日勅令第28号)
- 明治二十七年度ニ於テ前年度予算施行ノ件(明治27年2月17日勅令第19号)
- 明治三十一年度ニ於テ前年度予算施行ノ件(明治31年2月9日勅令第22号)
- 明治三十六年度ニ於テ前年度予算施行ノ件(明治36年2月6日勅令第9号)
- 明治三十七年度ニ於テ前年度予算施行ノ件(明治37年2月3日勅令第16号)
- 大正四年度ニ於テ前年度予算ヲ施行スル件(大正3年12月29日勅令第263号)
- 大正六年度ニ於テ前年度予算ヲ施行スル件(大正6年2月21日勅令第23号)
- 大正九年度ニ於テ前年度予算ヲ施行スルノ件(大正9年3月17日勅令第43号)
- 大正十三年度ニ於テ前年度予算ヲ施行スルノ件ノ件(大正13年2月29日勅令第40号)
- 昭和三年度ニ於テ前年度予算ヲ施行スルノ件(昭和3年3月15日勅令第29号)
- 昭和五年度ニ於テ前年度予算ヲ施行スルノ件(昭和5年3月10日勅令第37号)
- 昭和七年度ニ於テ前年度予算ヲ施行スルノ件(昭和7年3月14日勅令第23号)
- 昭和十一年度ニ於テ前年度予算ヲ施行スルノ件(昭和11年3月26日勅令第29号)
- 昭和二十一年度ニ於テ前年度予算ヲ施行スルノ件(昭和21年3月27日勅令第166号)
府県会解散
編集府県制(明治23年5月17日法律第35号)第89条第1項で府県会の解散は、勅令によるとされたため、勅令が制定された。
道府県制(明治32年3月16日法律第64号)では、道府県会の解散は「内務大臣ガ勅裁ヲ経テ命ズル」(第131条第1項)と改正されたため、以後は解散の勅令はなくなった。
勅令一覧
編集- 徳島県会解散ノ件(明治25年12月12日勅令第111号)
- 石川県会解散ノ件(明治27年12月30日勅令第204号)
- 石川県会解散ノ件(明治30年3月8日勅令第26号)
- 石川県会解散ノ件(明治30年9月10日勅令第302号)
- 青森県会解散ノ件(明治30年10月26日勅令第383号)
- 石川県会解散ノ件(明治31年2月26日勅令第30号)
- 秋田県会解散ノ件(明治31年12月1日勅令第338号)
- 静岡県会解散ノ件(明治31年12月10日勅令第346号)
- 福島県会解散ノ件(明治31年12月28日勅令第360号)
- 福島県会解散ノ件(明治32年6月14日勅令第250号)
戒厳布告、解除
編集戒厳の布告及び解除は勅令で行われた。
勅令一覧
編集- 戒厳宣告ノ件(明治27年10月6日勅令第174号)
- 戒厳解止ノ件(明治28年6月19日勅令第76号)
- 戒厳宣告ノ件(明治37年2月14日勅令第36号)
- 戒厳宣告ノ件(明治37年2月14日勅令第37号)
- 戒厳宣告ノ件(明治37年2月14日勅令第38号)
- 戒厳宣告ノ件(明治37年2月14日勅令第39号)
- 戒厳宣告ノ件(明治38年4月14日勅令第133号)
- 戒厳宣告ノ件(明治38年5月13日勅令第160号)
- 戒厳解止ノ件(明治38年7月7日勅令第193号)
- 戒厳解止ノ件(明治38年10月16日勅令第219号)
国葬
編集国葬令(大正15年10月21日勅令第324号)の制定後は、国家に偉勲ある者は特旨により国葬を行うことができるとされ、この特旨は、詔書により行われた。この国葬令制定前においては、個々の国葬の都度、個別の勅令より行われた。
勅令一覧
編集- 故内大臣正一位大勲位公爵三条実美国葬ノ件(明治24年2月20日勅令第14号)
- 熾仁親王殿下薨去ニ附キ国葬ノ件(明治28年1月24日勅令第11号)
- 能久親王殿下薨去ニ附キ国葬ヲ行フ件(明治28年11月5日勅令第156号)
- 公爵毛利元徳国葬ノ件(明治29年12月26日勅令第401号)
- 故従一位勲一等公爵島津忠義国葬ノ件(明治30年12月28日勅令第458号)
- 故元帥陸軍大将大勲位功二級彰仁親王国葬ノ件(明治36年2月18日勅令第16号)
- 故枢密院議長従一位大勲位公爵伊藤博文国葬ノ件(明治42年10月27日勅令第314号)
- 故議定官元帥海軍大将大勲位功三級威仁親王国葬ノ件(大正2年7月10日勅令第255号)
- 故議定官内大臣元帥陸軍大将従一位大勲位功一級公爵大山厳国葬ノ件(大正5年12月11日勅令第244号)
- 故大勲位李太王国葬ノ件(大正8年1月27日勅令第9号)
- 故議定官枢密院議長元帥陸軍大将従一位大勲位功一級公爵山県有朋国葬ノ件(大正11年2月3日勅令第18号)
- 故元帥陸軍大将大勲位功二級貞愛親王国葬ノ件(大正12年2月6日勅令第35号)
- 故従一位大勲位公爵松方正義国葬ノ件(大正13年7月5日勅令第155号)
- 大勲位李王国葬ノ件(大正15年4月27日勅令第87号)
貴族院令
編集貴族院の構成については勅令である貴族院令で定められたが、この改正には貴族院の議決を要する(貴族院令第13条)。
衆議院の構成は法律(即ち、衆議院のみならず貴族院の議決も必要)であるのに対し、貴族院については衆議院の介入をさせないようになっていた。
条約の公布
編集公文式には、条約についての規定がなく、条約の公布は勅令で行われていた。この場合は、無番号とされていた。公式令で条約についての規定が設けられた。
公文式時代の条約の例
編集帝国政府ト白耳義国政府トノ間ニ締結セル裁判管轄権ニ関スル議定書(明治32年7月1日勅令)
公式令による条約の例
編集病院船ニ関スル条約(明治40年5月24日条約第1号)
皇室婚嫁令・皇室誕生令
編集明治33年4月25日に公布された皇室婚嫁令、明治35年5月29日に公布された皇室誕生令は、官報、法令全書ともに法令番号のみならず「勅令」との表示もない。
しかし、官報目録では、勅令に分類しており、日本法令索引でも勅令に分類している。公式令以後なら皇室令となるべきものであった。
関東州及び南洋群島に関する法令
編集関東州及び南洋群島は、大日本帝国の統治下にあったが、租借地ないし委任統治領であるため大日本帝国憲法が適用されず、これらの統治は専ら大権の行使として勅令で行われた[2]。
脚注
編集出典
編集- ^ a b c 『世界大百科事典』第2版(1988)
- ^ 日本-旧外地法令の調べ方
参考文献
編集- 大正天皇『大正八年勅令三百四号の効力を将来に失わしむるの件 』大蔵省印刷局『官報』1920年3月25日、3-25。
関連項目
編集- 詔勅
- 天皇大権
- 太政官布告・太政官達
- 日本の廃止された法令
- 主に英米法系の勅許について
- 歴史上出された各地の勅令