村田政真
建築家
村田 政真(むらた まさちか、1906年[1] - 1987年[2][3])は、日本の建築家。駒沢オリンピック公園総合運動場陸上競技場が代表作。
来歴
編集三重県に生まれる[1]。1929年に東京美術学校(現・東京芸術大学)建築科を卒業した[1]。同年より岡田信一郎の岡田建築事務所に勤務する[1]。
1931年(昭和6年)より宮内省内匠寮臨時帝室博物館造営課に配属になる[1]。1934年、国立公園ニ建ツ山小屋建築設計コンペ(国立公園協会・建築学会主催)で、佳作二席となる[4]。
退官後の1937年からヨーロッパ、アメリカに出張した[1][3]。その後1940年から土浦亀城建築事務所に勤務する[1]。
1946年(昭和21年)に村田政真建築設計事務所を開設した[1]。
妻は園芸家の村田ユリ(旧姓:鍵富)[5]。
主な作品
編集- 公共建築・学校・オフィス他
- 1940年代
- 銀座・月堂[6]
- 1950年代
- 某工場クラブ[7]
- 定山渓ホテルの新館増築[8]
- 横濱ビルディング[9]
- 明治座改築[10]
- 東京信用保證協會事務所[11]
- 愛知カンツリークラブクラブハウス[12][13]
- 共同通信社衾町家族寮[14]
- 松本米穀精麦新社屋[15]
- 藤友クラブ[16][17]
- 東京体育館屋内水泳場(詳細図譜は竹中工務店設計部・丹下健三研究室・東京都臨時競技場建設事務所による)[18][19][20][21][22]
- 東京国際貿易センター[23][24][25]
- 東京国際貿易センター展示館[26][27]
- 霧島高原ホテル・ヒュッテ(詳細図譜は村野森建築設計事務所・武基雄研究室・綾井・吉阪協力事務所による)[28][29][30]
- 1960年代
- 那須ホテル[31]
- 石山居[32]
- 東京都落合下水処理場[33]
- 霧島高原ホテル別館・えびのレストセンター [34]
- 三重県体育館(林雅子・千葉確次と共作)[35]
- 駒沢オリンピック公園総合運動場陸上競技場(芦原義信との共作)[36][37][38]
- 料亭山吹[39]
- 駐日イタリア大使館改築(ピエール=フランチェスコ・ボルゲーゼ (Pier Francesco Borghese) と、1965年)
- 東京都森ケ崎西下水処理場(稼働開始は1966年1月) [33]
- ホテル松蔵[40]
- ホテル穂高[41]
- 共同通信会館[42][43][44][45]
- 宮崎観光ホテル[46]
- 天城ホームステッド[47]
- 埼玉銀行軽井沢寮[48]
- 1970年代
- 住宅
寄稿他
編集- 「建築家の役割」市浦健(編)『明日の日本住宅』相模書房、1950年、pp.73 - 76
- 村田政真「建築家の責任とそのための保険制度の確立について」『公共建築』第4巻第3号、公共建築協会、1961年12月、40頁。
- 山脇巌 編『住宅のカーポート』井上書院、1962年5月1日。
- 「本屋と同時計画のモダンカーポート H邸」(pp.14 - 15)
- 「前庭の樹木を活かして建つカーポート M邸」(pp16 - 17)の2箇所を担当。
脚注
編集- ^ a b c d e f g h 鈴木博之(監修) 2005, p. 428.
- ^ 「KB NEWS 村田政真氏死去」『建築文化』第42巻第490号、彰国社、1987年8月、15頁。
- ^ a b 「しんけんちく・にゅうす 記事 村田政真氏を悼む」『新建築』第62巻第9号、新建築社、1987年9月。[要ページ番号]
- ^ 国立公園協会・建築学会 編『国立公園ニ建ツ山小屋建築設計図案集』国立公園協会・建築学会、1934年3月10日、12-15頁 。
- ^ 阿古真理「令和の台所改善運動―キッチン立ち話 第10回「暮らしを中心に据えた建築家 吉村順三」」太陽WEB(平凡社)、2024年6月7日(2025年1月12日閲覧)
- ^ 『新建築』第22巻3号、新建築社、1947年4月、[要文献特定詳細情報]
- ^ 『新建築』第26巻10号、新建築社、1951年10月、[要文献特定詳細情報]
- ^ 『ホテルレビュー』第2巻21号、日本ホテル協会, 1952年1月、[要文献特定詳細情報]
- ^ 『建築文化』第52号、彰国社、1951年3月、[要文献特定詳細情報]
- ^ 『建築文化』第54号、彰国社、1951年5月、[要文献特定詳細情報]
- ^ 『建築文化』第9巻5号(通巻90号)、彰国社、1954年5月、[要文献特定詳細情報]
- ^ 宮内嘉久編集事務所 編『国際建築』第22巻1号(1955年1月号)美術出版社、1955年1月、[要文献特定詳細情報]
- ^ 『新建築』第30巻2号、新建築社、1955年2月、[要文献特定詳細情報]
- ^ 『建築文化』第10巻12号(通巻109号)、彰国社、1955年12月、[要文献特定詳細情報]
- ^ 『建築文化』第11巻2号(通巻111号)、彰国社、1956年2月、[要文献特定詳細情報]
- ^ 『新建築』第32巻10号、新建築社、1957年10月)、[要文献特定詳細情報]
- ^ 宮内嘉久編集事務所 編『国際建築』第24巻10号(1957年10月号)、美術出版社、1957年10月、[要文献特定詳細情報]
- ^ 『新建築』第33巻6号、新建築社, 1958年6月、[要文献特定詳細情報]
- ^ 『建築文化』第13巻6号(通巻140号)、彰国社、1958年6月、[要文献特定詳細情報]
- ^ 早稲田大学第一理工学部建築学科明石研究室 編『現代建築設計詳細図集 第1』井上書院、1959年、[要文献特定詳細情報]
- ^ 宮内嘉久編集事務所 編『国際建築』第25巻7号(1958年7月号)美術出版社、1958年7月、[要文献特定詳細情報]
- ^ 『新建築』第39巻10号、新建築社、1964年10月、[要文献特定詳細情報]
- ^ 『近代建築』第13巻5号、近代建築社、1959年5月、[要文献特定詳細情報]
- ^ 『建築文化』第14巻6号(通巻152号)、彰国社、1959年6月[要文献特定詳細情報]
- ^ 『新建築』第34巻6号、新建築社、1959年6月)[要文献特定詳細情報]
- ^ 宮内嘉久編集事務所 編『国際建築』第26巻1号(1959年1月号)、美術出版社、1959年1月、[要文献特定詳細情報]
- ^ 宮内嘉久編集事務所 編『国際建築』第26巻6号(1959年6月号)、美術出版社、1959年6月、[要文献特定詳細情報]
- ^ 『新建築』第34巻8号、新建築社、 1959年8月、[要文献特定詳細情報]
- ^ 理工図書 編『建築界』第9巻11号、理工図書、1960年11月、[要文献特定詳細情報]
- ^ 村田政真「これからのホテルと旅館 霧島高原ホテルについて」『國立公園』第123/124号、自然公園財団、1960年3月、8-11頁。
- ^ 『新建築』第36巻9号、新建築社、1961年9月、[要文献特定詳細情報]
- ^ 『新建築』第37巻1号、新建築社、1962年1月、[要文献特定詳細情報]
- ^ a b 宮内嘉久編集事務所 編『国際建築』第29巻8号(1962年8月号)、美術出版社、1962年8月、[要文献特定詳細情報]
- ^ 『新建築』第38巻5号、新建築社、1963年5月、[要文献特定詳細情報]
- ^ 『新建築』第39巻7号、新建築社、1964年7月、[要文献特定詳細情報]
- ^ 『新建築』第39巻10号、新建築社, 1964年10月、[要文献特定詳細情報]
- ^ 『建築文化』第19巻213号、彰国社、1964年7月、[要文献特定詳細情報]
- ^ 理工図書 編『建築界』第13巻5号、理工図書、1964年5月、[要文献特定詳細情報]
- ^ 『新建築』第39巻12号、新建築社、1964年12月、[要文献特定詳細情報]
- ^ 『近代建築』第20巻2号、近代建築社、1966年2月、[要文献特定詳細情報]
- ^ 『新建築』第41巻3号、新建築社, 1966年3月、[要文献特定詳細情報]
- ^ 『近代建築』第20巻6号、近代建築社、1966年6月、[要文献特定詳細情報]
- ^ 理工図書 編『建築界』第15巻6号、理工図書、 1966年6月、[要文献特定詳細情報]
- ^ 理工図書 編『建築界』第15巻11号、理工図書、1966年11月、[要文献特定詳細情報]
- ^ 『新建築』 第41巻6号、新建築社、1966年6月)、[要文献特定詳細情報]
- ^ 浜口隆一『浜口隆一評論集 第1 (現代建築の断面)』近代建築社、1967年、[要ページ番号]
- ^ 『新建築』第43巻6号、新建築社、1968年6月、[要文献特定詳細情報]
- ^ 『新建築』第44巻2号、新建築社、1969年2月、[要文献特定詳細情報]
- ^ 「作品作風 <北陸の新建築>」『建築と社会』第53巻12号、日本建築協会、1972年12月、[要文献特定詳細情報]
- ^ 村田政真建築設計事務所「作品 ホテル立山・室堂ターミナル」『新建築』第48巻3号、新建築社、1973年3月、pp.197 - 206
- ^ 大乗弘「新しい四日市市立図書館」『社会教育』第28巻第11号、日本青年館「社会教育」編集部、1973年11月、30-33頁。
- ^ 『近代建築』第33巻3号、近代建築社、1979年3月、[要文献特定詳細情報]
- ^ a b 『スクール・サイエンス』第11巻97号、環境工学社、1979年10月、[要文献特定詳細情報]
- ^ 板橋区立美術館のあゆみ - 板橋区立美術館
- ^ 『建築文化』第35巻408号、彰国社、1980年10月、[要文献特定詳細情報]
- ^ 『スクール・サイエンス』第14巻117号、 環境工学社、1981年9月、[要文献特定詳細情報]
- ^ 『新建築』第58巻6号、新建築社、1983年5月、[要文献特定詳細情報]
- ^ 『新建築』第61巻2号、新建築社、1986年2月、[要文献特定詳細情報]
- ^ 村田政真「鍵富正作邸【東京】」宮内嘉久編集事務所 編『国際建築』第12巻2号(1936年2月号)、美術出版社、pp.37-40
- ^ 『建築写真類聚』第11期第5輯 (和洋住宅外観集 巻2) 洪洋社、1941年、[要文献特定詳細情報]
- ^ 『建築文化』第16巻10号(通巻180号)、彰国社 、1961年10月、[要文献特定詳細情報]
- ^ 『新建築』第36巻10号、新建築社、1961年10月、[要文献特定詳細情報]
- ^ 『新建築』第23巻5号、新建築社、1948年5月、[要文献特定詳細情報]
- ^ 『新建築』第26巻11号、新建築社、1951年11月、[要文献特定詳細情報]
- ^ 『新建築』第28巻11号、新建築社、1953年11月、[要文献特定詳細情報]
- ^ 『新建築』第27巻2号、新建築社、1952年2月、[要文献特定詳細情報]
- ^ 『新建築』第27巻8号、新建築社、1952年8月、[要文献特定詳細情報]
- ^ 「住宅特集 S邸」『新建築』第43巻1号、新建築社、1968年1月、pp.175-180
- ^ 『新建築』第35巻2号、新建築社、1960年2月、[要文献特定詳細情報]
参考文献
編集- 鈴木博之(監修) 著、内匠寮の人と作品刊行委員会 編『皇室建築 内匠寮の人と作品』建築画報社、2005年12月1日。ISBN 978-4901772211。
関連文献
編集- 「創立35周年 村田政眞建築設計事務所作品抄―ホテル立山、新宿区立中強羅保養所つつじ荘、玉川学園プール、長野市営陸上競技場、新宿区立新宿文化センター、栃木県公館、板橋区立美術館、ほか」『近代建築』第35巻第8号、近代建築社、1981年8月、55-82頁。
- 「特集 村田政真建築設計事務所・スポーツ施設作品集」『近代建築』第38巻第6号、近代建築社、1984年6月、53-72頁。
- 建築アーカイヴス研究所 - 金沢工業大学(村田政眞建築設計事務所から寄贈された設計図面、写真などを所蔵)