杉原重長
日本の江戸時代前期の大名。但馬豊岡藩初代藩主杉原長房長男で、豊岡藩2代藩主。従五位下伯耆守
杉原 重長(すぎはら しげなが)は、但馬国豊岡藩の第2代藩主。
時代 | 江戸時代前期 |
---|---|
生誕 | 元和2年(1616年) |
死没 | 寛永21年10月28日(1644年11月27日) |
別名 | 吉兵衛(通称) |
戒名 | 悟空院殿覚全浄本大居士 |
墓所 | 東京都港区三田の林泉寺 |
官位 | 従五位下伯耆守 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川家光 |
藩 | 但馬豊岡藩主 |
氏族 | 杉原氏 |
父母 | 父:杉原長房、母:浅野長政の娘 |
兄弟 | 重長、長俊、北条氏重正室、浅野長政養女、長晴院、堀親昌正室、浅野長晟養女、竹中重常正室、青山幸通継室、上田重安正室 |
妻 |
正室:小出吉親の次女 継室:織田高長の娘 |
子 |
杉原重玄正室 養子:重玄 |
生涯
編集元和2年(1616年)、江戸で初代藩主杉原長房の長男として生まれる。寛永6年(1629年)、父の死去により家督を継いだ。寛永21年(1644年)10月28日、29歳で死去する。
重長には娘が1人いるだけで男児がいなかったため、父・長房の外孫に当たる重玄(交代寄合・竹中重常の三男)を養嗣子に迎え、自分の一人娘を娶わせることで跡を継がせようとしたが、この末期養子は認められず、重長の死後、豊岡藩は2万石から1万石に減知された上で重玄の家督相続が認められた。