本庄道章
本庄 道章(ほんじょう みちあきら/みちあき)は、美濃岩滝藩主、のち美濃高富藩の初代藩主。
時代 | 江戸時代前期 - 中期 |
---|---|
生誕 | 天和3年4月28日(1683年5月24日) |
死没 | 享保10年7月27日(1725年9月3日) |
戒名 | 威音院栄岳喜繁 |
墓所 | 東京都足立区伊興町狭間の法受寺 |
官位 | 従五位下、和泉守、宮内少輔 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川綱吉→家宣→家継→吉宗 |
藩 | 美濃岩滝藩主→美濃高富藩主 |
氏族 | 本庄氏 |
父母 | 父:本庄道高、母:六角広賢の娘 |
妻 | 側室:松田氏、水島氏 |
子 | 道矩(長男)、娘(酒井忠候正室)、娘(酒井忠儔正室)、娘(本庄道倫正室) |
生涯
編集大身旗本・本庄道高の長男。母は六角広賢(六角院広賢、烏丸広賢)の娘。側室に松田氏、水島氏。子は本庄道矩(長男)、娘(酒井忠候正室)、娘(酒井忠儔正室)、娘(本庄道倫正室)。官位は従五位下、和泉守。のち、宮内少輔と改める。
元禄10年(1697年)7月11日に4000石の家督を継いだ。元禄12年(1699年)12月18日、和泉守に叙せられる。元禄16年(1703年)8月22日、宮内少輔と改めた。
徳川綱吉の生母・桂昌院の異母兄・本庄道芳の孫に当たることから、宝永2年(1705年)3月23日、6000石加増の1万石で大名に列し、岩滝藩主となった。宝永6年(1709年)8月、藩庁を岩滝から高富に移し、高富藩主となった。
享保10年(1725年)7月27日、43歳で死去し、跡を長男の道矩が継いだ。
系譜
編集父母
側室
- 松田氏
- 水島氏
子女