六角広賢

日本の江戸時代前期の公家・武士。権大納言烏丸光広次男で、高家旗本六角氏初代当主。従四位下木工権頭

六角 広賢(ろっかく ひろかた)は、江戸時代前期の高家高家六角家初代当主。官位従四位下木工権頭

 
六角広賢
六角広賢(永源寺蔵)
時代 江戸時代前期
生誕 不明
死没 万治元年12月9日1659年1月1日
別名 六角院
官位 従四位下木工権頭
幕府 江戸幕府 高家
主君 徳川家光家綱
氏族 烏丸家六角家
父母 父:烏丸光広
兄弟 烏丸光賢広賢勘解由小路資忠ほか
正室:本庄道芳[1]養女
広治本庄道高[2]
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略歴

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正二位権大納言烏丸光広の次男として誕生した。始めは「桃園」の家名であったという。また、「六角」の家名は後世のもので、広賢時代には「六角院」を号していたという説がある。

正保4年(1647年輪王寺門跡になった後水尾天皇の皇子・守澄法親王の関東下向に伴い、江戸に下る。徳川和子の意向によるものだったという。

万治元年(1658年)12月9日、卒去。子の広治は高家旗本に取り立てられた。

脚注

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  1. ^ 3代将軍徳川家光の側室で5代将軍徳川綱吉の生母・桂昌院の異母兄。
  2. ^ 道芳の子。
先代
高家六角家初代当主
? - 1658年
次代
六角広治