有賀秀子
有賀 秀子(ありが ひでこ、1934年2月9日[1] -2024年12月7日 )は、日本の女性農芸化学者。専門は、応用生物化学[1]、栄養化学[1]、酪農食品科学[2]。農学博士[1]。
生誕 |
1934年2月9日(90歳) 日本 北海道帯広市 |
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死没 |
2024年12月7日(90歳没) 日本 北海道帯広市 |
居住 | 日本 北海道帯広市 |
国籍 | 日本 |
研究分野 | 農芸化学 |
研究機関 | 帯広畜産大学, 北海道大学 |
出身校 | 帯広畜産大学, 北海道大学 |
主な業績 | さけるチーズの研究開発 |
主な受賞歴 | 日本酪農科学会賞(1993年) |
プロジェクト:人物伝 |
来歴
編集1934年2月9日に北海道帯広市で誕生[1]。1946年帯広市立明星小学校卒業。1946年北海道庁立帯広高等女学校入学、1947年に教育改革により北海道立帯広高等女学校へ、1950年に教育改革により北海道帯広三条高等学校へ改称。1949年に同高等学校併置中学校卒業[3]。1952年北海道帯広三条高等学校卒業[4]。1952年に帯広畜産大学畜産学部酪農学科入学。1956年帯広畜産大学畜産学部酪農学科卒業[1]。1956年に北海道幕別高等学校、1959年に北海道旭川北高等学校の教諭となり、家庭科を教える[1]。1963年に、夫の転勤で故郷・帯広に戻り、母校・帯広畜産大学の助手となる[1]。1985年、帯広畜産大学講師を経て帯広畜産大学畜産学部家畜生産学科助教授に就任[1]。その間1970年には北海道栄養食糧学会賞を受賞している[1]。1984年には北海道大学にて農学博士の博士号を取得。論文の題は「乳汁およびチーズ中硝酸塩の消長とかびスターターの硝酸還元性 」[5]。1990年、帯広畜産大学畜産学部生物資源化学科教授に就任[1]。なお、同大学における初の女性教授である。1997年に退官、帯広畜産大学名誉教授となる[6]。2000年より帯広市教育委員長を務め、2003年退任[2]。
役職
編集- 1985~1997年 日本酪農学会評議員
- 1991~1997年 北海道畜産学会評議員
- 1991~1998年 帯広市総合計画策定審議会委員
- 1993~1997年 日本畜産学会評議員
- 1995~1997年 北海道科学技術審議会委員
- 1996~2004年 釧路簡易裁判所民事調停委員
- 1997~2004年 北海道技術アドバイザー
- 1986~2004年 釧路家庭裁判所家事調停委員
- 1999~2003年 帯広市教育委員
- 2000~2003年 帯広市教育委員長
研究テーマと人物
編集昭和38年に帯広畜産大学農学科の助手として着任後、平成2年に帯広畜産大学初の女性教授に昇任。平成9年3月末をもって定年退職するまでの34年間の長きにわたり教育研究に多大な貢献をした。
平成6年には、生物資源化学科の学科長として、新たな研究棟の建設構想や新学科設置構想の実現に尽力し、大学の管理運営面においても、多大なる功績を残した。
有賀秀子氏の教育研究上の業績は、第一に、地域が抱える課題解決のため、十勝農協連、各農協、酪農家と協力して生乳の品質改善移管する様々な研究を行ったことである。その研究業績を基に作られた「乳質改善ハンドブック」は、長らく営農の指導指針として活用されてきた。 第二に、日本古代の乳製品である酥及び醍醐の再現に関する研究である。古文書を紐解きながらその実態解明に情熱を注ぎ、ついにその再現に成功さし、1988年の日本畜産学会報に「日本における古代乳製品の"酥"および"醍醐"の本質網目にもとづく再現実験」と題し、筆頭著者 有賀秀子のほか、高橋セツ子、倉持泰子、浦島匡、筒井静子の共著で学術論文が発表された。その内容は新聞に掲載され、また、テレビでも放送され、大きな反響があった。 氏の研究業績は酪農科学の発展に大きく寄与し、平成5年には、日本で唯一のミルクサイエンスに関する学会である日本酪農科学会から学会賞が授与されている。
研究室との共同研究においては、雪印メグミルクと商品開発を行った。代表的なものとしては、さけるチーズなどが挙げられ、食品開発においても多大な功績を残している。
平成9年に帯広畜産大学を退職した後、帯広市の教育委員長に就任され、「子どもたちがすくすく育ち、力を発揮できる環境づくりに努めます。」と宣言した。
現代、帯広畜産大学では、ダイバーシティ推進プログラムにより、女性研究者を増やすとともに、女性研究者のリーダーシップ向上に努めている。しかし、氏が赴任した当時は女性の大学教員が少なく、小さいお子さんを抱えての家庭と仕事の両立には、大変な苦労があったと考察される。 そのような中でも自身の研究分野を追求し、帯広畜産大学初の女性教授として活躍した姿は、多くの学生にとって憧れとなっていたことが容易に想像できる。 また、氏は、自身に厳しく、努力を惜しまない人物だった。家庭と日常の教育研究活動を両立させながら、農学博士の学位を取得されたことからもその人柄が伺える。
1997年発行の「有賀秀子教授 定年退官記念誌」には、多くのエピソードが寄せられている。学生に対しては深い愛情を持って接しておられ、実習先で食べるお弁当や研究室での夜食の差し入れ等、学生たちは先生の手料理をいつも楽しみにしていたと綴っている。
著書
編集など