星野金吾
星野 金吾(ほしの きんご、1863年12月30日(文久3年11月20日) - 1933年5月29日)は、日本陸軍の軍人。最終階級は陸軍中将。
経歴
編集新潟県出身。1880年(明治13年)1月、陸軍士官学校に入学。1882年(明治15年)12月、砲兵少尉任官。1884年(明治17年)7月、陸軍士官学校(旧5期)を卒業。1890年(明治23年)12月、陸軍大学校(6期)を首席で卒業。陸大勤務となる。日清戦争に第3師団参謀として出征。
1901年(明治34年)2月、第1師団参謀長に就任し、1902年(明治35年)12月、砲兵大佐に昇進。日露戦争に出征し、旅順攻囲戦に参戦し苦闘を続けた。1907年(明治40年)11月、陸軍少将に進級し関東都督府参謀長となる。
1912年(大正元年)9月、参謀本部付に転じ、1913年(大正2年)8月、野砲兵監に着任し、同月、陸軍中将に進んだ。1916年(大正5年)8月、第17師団長に親補された。1918年(大正7年)7月、待命となり、1919年(大正8年)4月、予備役に編入された。
栄典・授章・授賞
編集- 位階
- 1886年(明治19年)11月27日 - 従七位[1]
- 1892年(明治25年)1月12日 - 正七位[2]
- 1895年(明治28年)4月15日 - 従六位[3]
- 1899年(明治32年)12月20日 - 正六位[4]
- 1903年(明治36年)3月30日 - 従五位[5]
- 1907年(明治40年)12月27日 - 正五位[6]
- 1913年(大正2年)1月30日 - 従四位[7]
- 1916年(大正5年)9月11日 - 正四位[8]
- 勲章等
- 外国勲章佩用允許
脚注
編集- ^ 『官報』第1034号「叙任」1886年12月9日。
- ^ 『官報』第2558号「叙任及辞令」1892年1月13日。
- ^ 『官報』第3535号「叙任及辞令」1895年4月16日。
- ^ 『官報』第4943号「叙任及辞令」1899年12月21日。
- ^ 『官報』第5920号「叙任及辞令」1903年3月31日。
- ^ 『官報』第7352号「叙任及辞令」1907年12月28日。
- ^ 『官報』第150号「叙任及辞令」1913年1月31日。
- ^ 『官報』第1236号「叙任及辞令」1916年9月12日。
- ^ 『官報』号外「叙任及辞令」1889年12月29日。
- ^ a b 『官報』第3578号「叙任及辞令」1895年6月5日。
- ^ 『官報』第3693号「叙任及辞令」1895年10月19日。
- ^ 『官報』第6426号「敍任及辞令」1904年11月30日。
- ^ 『官報』第1194号「叙任及辞令」1916年7月24日。
- ^ 『官報』第1310号・付録「辞令」1916年12月13日。
参考文献
編集- 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
- 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。