日野一家(ひのいっか)は、東京都立川市に本部を置く暴力団で、指定暴力団住吉会の二次団体。

七代目日野一家
設立明治期
設立者日野要蔵
本部日本の旗 東京都立川市錦町2-1-30 日野ビル
首領高沢哲夫
上部団体住吉会

大日本朱光会、出版社・朱光出版社を傘下に持つ[1]

住吉一家日野の縄張りは広範である。中央線の駅で言えば、国立立川日野豊田。 他に地名で言えば、昭島市福生市羽村市青梅市、一部を除いたあきる野市東村山の一部、 小平市の一部、埼玉県坂戸市鶴ヶ島市毛呂山町越生町、などなど

川口親分や阿形親分は新宿二幸(現アルタ)裏の住吉一家塚原一門だったため小規模ではあるものの今でも新宿地域での 活動が見られる。

略歴

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日野六代目・阿形充規

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昭和34年(1959年)新宿住吉一家の塚原崇司一統を後ろ盾に愚連隊「青龍会」を結成して、阿形充規は会長に就任。

塚原崇司はのちに新宿区議会議員選挙当選しヤクザを引退 青龍会三声会東声会の下部組織の愚連隊)と新宿で抗争を展開。

阿形は銀座の森田実(港会幹部で浜本兄弟会)の若い衆になるが、阿形が懲役の間に森田実が住吉から破門、阿形は出所後浪々するも昭和48年(1973年)日野一家福生貸元の山口吉次郎の若い衆になる。

阿形は金融業、総会屋などをするかたわら歌舞伎町風林会館前で冷麺の店「高麗苑」や貴金属店を手がけた。

昭和52年(1977年)10月、阿形充規は、右翼団体・大日本朱光会を設立した[2]

住吉会日野一家から住吉会住吉一家日野に名称が変わる。

平成16年(2004年)5月26日、阿形充規は住吉一家日野六代目を継承。

歴代総長

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頭領

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  • 阿形充規 - 住吉会常任相談役

最高幹部

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  • 日野六代目代行・日野会会長 - 高沢哲夫(住吉会副会長)
  • 最高顧問          - 武川和夫
  • 最高相談役・羽村      - 石塚 彰(住吉会副会長補佐)
  • 最高相談役・青梅      - 本多 勝(住吉会副会長補佐)
  • 会長補佐・福生       - 原武 久(住吉会副会長補佐)
  • 会長補佐・日野 豊田     - 米村 誠(住吉会副会長補佐)破門
  • 会長補佐          - 相沢昭治(住吉会幹事)

執行部

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  • 幹事長 - 吉村 浩(住吉会副会長補佐)
  • 本部長 - 橋 寛(住吉会副会長補佐)
  • 懲罰委員長 - 中島 清(住吉会副理事長)
  • 運営委員長 - 梅原 徹(住吉会副理事長)
  • 風区委員長 - 田中修一(住吉会副理事長)
  • 慶弔委員長 - 飯島秀明(住吉会副理事長)
  • 組織局長 - 簑島朋美(住吉会副会長補佐)


脚注

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  1. ^ 『敬天新聞』のHPの「敬天新聞2月号社主の独り言」『大日本朱光会』のHPの「名誉顧問挨拶」
  2. ^ 『大日本朱光会』のHPの「名誉顧問挨拶」
  3. ^ 『敬天新聞』のHPの「敬天新聞2月号社主の独り言」