駐日アメリカ合衆国大使
駐日本国アメリカ合衆国大使(ちゅうにほんこくアメリカがっしゅうこくたいし)とは、日本に駐在するアメリカ合衆国連邦政府が派遣した特命全権大使。在日本アメリカ合衆国大使(ざいにほんアメリカがっしゅうこくたいし)、駐日米大使(ちゅうにちべいたいし)ともいう。
駐日アメリカ合衆国大使 | |
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任命 | 大統領(ジョー・バイデン) |
初代就任 | タウンゼント・ハリス |
創設 | 1859年11月5日 (安政6年10月11日) |
ウェブサイト | 駐日アメリカ合衆国大使館 |
概要
編集日本とアメリカ合衆国は、1853年(嘉永6年)に東インド艦隊司令長官のマシュー・ペリー(アメリカ海軍准将)が第13代アメリカ合衆国大統領のミラード・フィルモアの親書を携えて来日し、翌1854年(嘉永7年)に日米和親条約を締結して以来、外交関係を維持している。同条約の11条[1]に基づいて、1856年(安政3年)にアメリカ合衆国政府は外交官のタウンゼント・ハリスを総領事として伊豆・下田に派遣した。1858年(安政5年)には日米修好通商条約を締結し、翌1859年(安政6年)にアメリカ合衆国政府はハリスを弁理公使とした。
1941年(昭和16年)12月8日(現地時間:12月7日)に日本が真珠湾攻撃を行ってアメリカ合衆国に宣戦布告したため、太平洋戦争(大東亜戦争)開戦により日米両国間の国交は断絶。同日ジョセフ・グルーは駐日米大使を退任した。このときから、日本の降伏による終戦と連合国軍の日本占領統治を経て、1952年(昭和27年)4月28日にサンフランシスコ講和条約が発効するまでの約10年間は、日米両国間に通常の国交が断絶していた。
現在、アメリカ合衆国は東京都に駐日アメリカ合衆国大使館を設置しており、駐日米大使は同大使館で執務する。また、大阪市、名古屋市、札幌市、福岡市、那覇市(ただし、実際の所在地は那覇北郊の浦添市)には領事館を設置している。
歴代大使・公使
編集代 | 氏名 | 階級 | 任命 | 在任期間 | ||
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信任状捧呈 | 退任 | |||||
1 | タウンゼント・ハリス | 弁理公使 | 1859年1月19日 (安政 5年12月16日) |
1859年11月 (安政 6年10月11日) |
5日1862年 (文久 2年 3月28日) | 4月26日|
2 | ロバート・H・プリュイン | 1861年10月12日 (文久元年 9月 9日) |
1862年 (文久 2年 4月19日) |
5月17日1865年 (元治 2年 4月 4日) | 4月28日||
3 | ロバート・B・ファン・ファルケンブルグ | 1866年1月18日 (慶応元年12月 2日) |
1867年 (慶応 3年 4月 1日) |
5月 4日1869年11月11日 (明治 2年10月 8日) | ||
4 | チャールズ・デロング | 1869年 (明治 2年 3月10日) |
4月21日1869年 (明治 2年 10月 8日) |
11月11日特命全権公使に昇格 | ||
特命全権公使 | 1870年 (明治 3年 6月16日) |
7月14日1872年 (明治 5年 5月 4日) |
6月 9日1873年(明治 | 6年)10月 7日|||
5 | ジョン・ビンガム | 1873年(明治 | 6年) 5月31日1873年(明治 | 6年)10月 7日1885年(明治18年) | 7月 2日||
6 | リチャード・ハバード | 1885年(明治18年) | 4月 2日1885年(明治18年) | 7月 2日1889年(明治22年) | 5月15日||
7 | ジョン・フランクリン・スウィフト | 1889年(明治22年) | 3月12日1889年(明治22年) | 5月15日1891年(明治24年) | 3月10日||
8 | フランク・クームズ | 1892年(明治25年) | 4月20日1892年(明治25年) | 6月13日1893年(明治26年) | 7月14日||
9 | エドウィン・ダン | 1893年(明治26年) | 4月 4日1893年(明治26年) | 7月14日1897年(明治30年) | 7月 2日||
10 | アルフレッド・バック | 1897年(明治30年) | 4月13日1898年(明治31年) | 7月 3日1902年(明治35年)12月 | 4日||
11 | ロイド・グリスカム | 1902年(明治35年)12月16日 | 1903年(明治36年) | 6月22日1905年(明治38年)11月19日 | ||
1 | ルーク・ライト | 特命全権大使 | 1906年(明治39年) | 1月25日1906年(明治39年) | 5月26日1907年(明治40年) | 8月13日|
2 | トーマス・オブライエン | 1907年(明治40年) | 6月11日1907年(明治40年)10月15日 | 1911年(明治44年) | 8月31日||
3 | チャールズ・ブライアン | 1911年(明治44年) | 8月12日1911年(明治44年)11月22日 | 1912年(大正元年)10月 | 1日||
4 | ラーズ・アンダーソン | 1912年(大正元年)11月14日 | 1913年(大正 | 2年) 2月 1日1913年(大正 | 2年) 3月15日||
5 | ジョージ・ガスリー | 1913年(大正 | 2年) 5月20日1913年(大正 | 2年) 8月 7日1917年(大正 | 6年) 3月 8日||
6 | ローランド・モリス | 1917年(大正 | 6年) 8月 1日1917年(大正 | 6年)10月30日1920年(大正 | 9年) 5月15日||
7 | チャールズ・ウォレン | 1921年(大正10年) | 6月29日1921年(大正10年) | 9月24日1922年(大正11年) | 1月28日||
8 | サイラス・ウッズ | 1923年(大正12年) | 3月 3日1923年(大正12年) | 7月21日1924年(大正13年) | 6月 5日||
9 | エドガー・バンクロフト | 1924年(大正13年) | 9月23日1924年(大正13年)11月19日 | 1925年(大正14年) | 7月27日||
10 | チャールズ・マクヴィー(en:Charles MacVeagh) | 1925年(大正14年) | 9月24日1925年(大正14年)12月 | 9日1928年(昭和 | 3年)12月 6日||
11 | ウィリアム・キャッスル | 1929年(昭和 | 4年)12月11日1930年(昭和 | 5年) 1月24日1930年(昭和 | 5年) 5月27日||
12 | W・キャメロン・フォーブス | 1930年(昭和 | 5年) 6月17日1930年(昭和 | 5年) 9月25日1932年(昭和 | 7年) 3月22日||
13 | ジョセフ・グルー | 1932年(昭和 | 7年) 2月19日1932年(昭和 | 7年) 6月14日1941年(昭和16年)12月 | 8日||
1941年(昭和16年)12月:日米開戦・ 8日太平洋戦争(大東亜戦争)の開始により国交断絶 | ||||||
1952年(昭和27年): 4月28日サンフランシスコ講和条約の発効により国交回復 | ||||||
14 | ロバート・マーフィー | 特命全権大使 | 1952年(昭和27年) | 4月18日1952年(昭和27年) | 5月 9日1953年(昭和28年) | 4月28日|
15 | ジョン・アリソン | 1953年(昭和28年) | 4月 2日1953年(昭和28年) | 5月28日1957年(昭和32年) | 2月 2日||
16 | ダグラス・マッカーサー 2世 | 1956年(昭和31年)12月 | 4日1957年(昭和32年) | 2月25日1961年(昭和36年) | 3月12日||
17 | エドウィン・ライシャワー | 1961年(昭和36年) | 3月29日1961年(昭和36年) | 4月27日1966年(昭和41年) | 8月19日||
18 | U・アレクシス・ジョンソン | 1966年(昭和41年) | 9月 1日1966年(昭和41年)11月 | 8日1969年(昭和44年) | 1月15日||
19 | アーミン・マイヤー | 1969年(昭和44年) | 5月27日1969年(昭和44年) | 7月 3日1972年(昭和47年) | 3月27日||
20 | ロバート・インガソル | 1972年(昭和47年) | 2月29日1972年(昭和47年) | 4月12日1973年(昭和48年)11月 | 8日||
21 | ジェイムズ・ホッジソン | 1974年(昭和49年) | 6月20日1974年(昭和49年) | 7月19日1977年(昭和52年) | 2月 5日||
22 | マイケル・マンスフィールド | 1977年(昭和52年) | 4月22日1977年(昭和52年) | 6月10日1988年(昭和63年)12月22日 | ||
23 | マイケル・アマコスト | 1989年(平成元年) | 4月20日1989年(平成元年) | 5月15日1993年(平成 | 5年) 7月19日||
24 | ウォルター・モンデール | 1993年(平成 | 5年) 8月13日1993年(平成 | 5年) 9月21日1996年(平成 | 8年)12月15日||
25 | トーマス・フォーリー | 1997年(平成 | 9年)10月31日1997年(平成 | 9年)11月19日2001年(平成13年) | 4月 1日||
26 | ハワード・ベーカー | 2001年(平成13年) | 5月31日2001年(平成13年) | 7月 5日2005年(平成17年) | 2月17日||
27 | ジョン・シーファー | 2005年(平成17年) | 3月29日2005年(平成17年) | 4月11日2009年(平成21年) | 1月15日||
28 | ジョン・ルース | 2009年(平成21年) | 8月16日2009年(平成21年) | 8月20日2013年(平成25年) | 8月12日||
29 | キャロライン・ケネディ | 2013年(平成25年)11月12日 | 2013年(平成25年)11月19日 | 2017年(平成29年) | 1月18日||
30 | ウィリアム・F・ハガティ | 2017年(平成29年) | 7月27日2017年(平成29年) | 8月31日2019年(令和元年) | 7月22日||
31 | ラーム・エマニュエル | 2021年(令和 | 3年) 12月22日2022年(令和 | 4年) 3月25日
歴代首席公使
編集首席公使は大使館で上から2番目の階級で、大使の補佐を行う。
大使が一時的に不在になる場合は、臨時代理大使となる。また、大使が離任し、臨時代理大使となった場合は、首席公使の職から離れることがある[注釈 1]。
氏名 | 階級 | 任命 |
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アントン・ポートマン | 書記官兼通訳(Secretary & Interpreter) | 1861年 | 6月27日
ジェームス・カーティス・ヘボン | 通訳(Interpreter) | 1871年 | 4月 6日
ダーハム・W・スティーブンス | 公使館書記官(Secretary of Legation) | 1873年 | 8月 6日
グスタフ・ゴワード | 1883年 | 1月23日|
フレッド・S・マンスフィールド | 1885年11月12日 | |
エドウィン・ダン | 1889年 | 9月 3日|
ジョセフ・R・ヘロド | 1895年 | 3月 8日|
ハンティントン・ウィルソン | 1900年10月10日 | |
ヘンリー・パーシヴァル・ドッジ | 大使館書記官(Secretary of Embassy) | 1906年 | 8月 8日
ピーター・オーガスタス・ジェイ | 1907年 | 6月21日|
モンゴメリー・スカイラー | 1908年12月21日 | |
アーサー・ベイリー・ブランチャード | 1912年 | 2月 1日|
ポスト・ホイーラー | 1914年 | 6月 3日|
ジョン・ファン・A・マクマリー | 参事官 (Counselor) | 1917年11月10日 |
ヒュー・ロバート・ウィルソン | 1921年 | 8月19日|
ジェファーソン・キャフェリー | 1923年 | 9月 5日|
ノーマン・アーマー | 大使館参事官(Counselor of Embassy) | 1925年 | 6月25日
エドウィン・ネビル | 1928年 | 4月12日|
ユジーン・ドゥーマン | 1937年 | 1月 5日|
ウィリアム・テイラー・ターナー | 参事官(Counselor) | 1953年 | 4月10日
ジェイムズ・グラハム・パーソンズ | 大使館参事官(Counselor of Embassy) | 1953年 | 7月18日
アウターブリッジ・ホーシー | 公使 (Minister-Counselor) | 1956年 | 4月22日
ウィリアム・レオンハート | 1958年12月28日 | |
ジョン・K・エマソン | 首席公使 (Deputy chief of mission) | 1962年 | 7月22日
デービッド・L・オズボーン | 1967年 | 1月|
リチャード・リー・スナイダー | 1969年 | 9月|
トーマス・シュースミス | 1972年 | 7月|
ウィリアム・コートニー・シャーマン | 1977年 | 7月|
ウィリアム・クラーク | 1981年10月 | |
デュセイ・アンダーソン | 1985年 | 6月|
ウィリアム・タリー・ブリアー | 1989年 | 9月|
ラスト・マクファーソン・デミング | 1993年10月 | |
クリストファー・ラフルアー | 1998年11月 | |
リチャード・A・クリステンソン | 2001年 | 7月|
マイケル・W・マハラック | 2004年 | 4月|
ジョセフ・R・ドノバン | 2005年 | 8月|
ジェームス・ズムワルト | 2008年 | 7月|
カート・トン | 2011年12月 | |
ジェイソン・ハイランド | 2014年 | 7月|
ジョセフ・ヤング | 2017年 | 8月|
ニコラス・M・ヒル | 2020年[注釈 2] | 6月|
レイモンド・グリーン | 2021年 | 7月|
キャサリン・E・モナハン | 2024年 | 7月
参考文献
編集脚注
編集注釈
編集- ^ ウィリアム・F・ハガティ離任により、ジョセフ・ヤングが臨時代理大使に就任したが、在東京アメリカ合衆国大使館の公式HPでの記載では「ジョセフ・M・ヤングは2019年7月20日、駐日米国臨時代理大使に就任した。ヤング臨時代理大使は上級外交官であり、2017年から2019年まで在日米国大使館で首席公使を務めた。[2]」とあり、また現在の首席公使のニコラス・M・ヒルの記事で「2019年7月から2020年6月までは、在日米国大使館の首席公使代理を務めた。[3]。」としている。
- ^ 2019年7月から2020年6月までは、在日米国大使館の首席公使代理(Acting Deputy Chief of Mission)[3]。
出典
編集- ^ 第十一條 兩國政府に於て無據儀有之候時は模樣により合衆國官吏之者下田に差置候儀も可有之尤約定調印より十八ケ月後に無之候ては不及其儀候事
- ^ “駐日米国臨時代理大使”. 在東京アメリカ合衆国大使館. 2020年11月9日閲覧。
- ^ a b “首席公使”. 在東京アメリカ合衆国大使館. 2020年11月9日閲覧。