承久の乱合戦供養塔(じょうきゅうのらんかっせんくようとう)とは岐阜県各務原市矢熊山(仏眼院)中腹にある承久の乱両軍戦没者の五輪塔群のことである。
元々は承久3年(1221年)の承久の乱、「摩免戸の戦い」での鎌倉、京都両軍の戦没者供養のため、この地の人々の手により西宮寺(前渡西町地内)に安置されていたもので、 その後、木曽川の氾濫により寺は流され供養塔も埋もれたままになっていたが昭和初年に発掘され かかわりの深い矢熊山に移転安置された。
以来毎年6月5日に供養祭が行なわれている。
座標: 北緯35度23分04秒 東経136度52分49秒 / 北緯35.38431度 東経136.88036度 / 35.38431; 136.88036
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