成沢金兵衛
成沢 金兵衛(旧字体:成󠄁澤 金兵衞[1][2][3]、なるさわ きんべえ、1877年(明治10年)12月14日[1] - 1962年(昭和37年)10月20日[4])は、日本の実業家。日本写真協会専務理事[1]。朝日新聞社、全日本写真連盟各顧問[1]。雅号は玲川[2][4]。
経歴
編集長野県上田市出身[2]。金兵衛の長男[5][注 1]。家督を相続し[注 2]、前名・金弥を改め襲名する[5]。1899年、上田町で百合舎書店を開業する[5]。1906年、渡米し、オレゴン州ポートランドで邦字新聞「央州日報」を経営する[5]。
1918年、東京朝日新聞社に入り、調査部次長、グラフ部長等を歴任[5]。その間「アサヒグラフ」「映画と演芸」「アサヒカメラ」「日本写真年鑑」を創刊する[5]。1927年に計画部長となったが、1934年にこれを辞し日本放送協会参事に挙げられ、業務局報道部長に就任し1940年に退任する[5]。
人物
編集家族・親族
編集- 成沢家
- 親戚
脚注
編集注釈
編集出典
編集- ^ a b c d e 『全日本紳士録 昭和32年版』な51頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年3月9日閲覧。
- ^ a b c d e 『大衆人事録 第19版 東京篇』な614頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年3月9日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i 『大衆人事録 第3版』ナ114頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年3月10日閲覧。
- ^ a b c “成沢 玲川とは”. コトバンク. 2024年3月9日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l 『人事興信録 第13版 下』ナ171頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年3月9日閲覧。
参考文献
編集- 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第3版』帝国秘密探偵社、1930年。
- 人事興信所編『人事興信録 第13版 下』人事興信所、1941年。
- 人事興信所編『全日本紳士録 昭和32年版』人事興信所、1957年。
- 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第19版 東京篇』帝国秘密探偵社、1957年。