念仏寺 (奈良市)

奈良県奈良市漢国町にある寺院

念佛寺(ねんぶつじ)は、奈良県奈良市漢国町7番地にある浄土宗寺院である。山号降魔山院号善光院

念佛寺ねんぶつじ
所在地 奈良県奈良市漢国町7番地()山の寺
位置 北緯34度41分1秒 東経135度49分28.7秒 / 北緯34.68361度 東経135.824639度 / 34.68361; 135.824639
山号 降魔山
院号 善光院
宗旨 浄土宗
本尊 阿弥陀如来
創建年 元和8年(1622年
開基 袋中
正式名 降魔山善光院念佛寺[1]
別称 山の寺
法人番号 9150005000360 ウィキデータを編集
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歴史

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  • 元和8年(1622年)に松平定勝徳川家康の異父弟)が僧侶の袋中に命じて草創したと伝えられる[2]
  • 大坂冬の陣木津川口の戦い (1614年)真田信繁に追われた家康が寺敷地内にあった桶屋に隠れて難を逃れたと昔話として伝わる。『徳川實紀』によれば、木津で家康と真田軍とで小競り合いがあったことは事実のようだが、上記のようなことがあったかどうかは不明。今辻子町の西照寺にも同じような話が伝わっている。
  • 当時、袋中の弟子善曳が奈良で當麻曼荼羅を探していたところ、異なる阿弥陀浄土変相図を道具屋で見つけ、袋中はその図(異相智光曼陀羅)を見るために奈良に来たとも、当時袋中は奈良の古寺をめぐりその荒廃を嘆くなど奈良に興味を持っていたともいわれる。複合的な要因により奈良にやって来て、当時「弘法山」といわれていた山(袋中は著作中で「眉目山」と称している)に庵を結び、寺名を「降魔山善光寺」とした。最初の本尊は、善光寺如来の絵像だとされる[3]
  • 寛永年間に袋中が一切経を蒐集・書写し、それらを念仏寺の経蔵に納めた[4]。一切経は江戸末期に散逸[5]。同じ頃一時期無住となる。文久2年(1862)、開化天皇陵修陵のため経蔵や墓地を移設。幕末、明治期に寺運は衰退するが、後に入った住持により復興する。

境内

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  • 阿弥陀如来立像(木造、鎌倉時代後期の作)
  • 地蔵菩薩像(石造、室町時代
  • 松平定勝供養碑
  • 奈良奉行桑山元柔墓
  • 慈雲六字名号碑
  • 金春家

交通アクセス

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脚注

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  1. ^ 浄土宗寺院紹介Navi
  2. ^ 【念仏寺】家康ゆかりのお寺は近鉄奈良駅のすぐそばに
  3. ^ 稲垣泰一「『降魔山善光寺畧縁起』解説並びに翻刻:新出・良定(袋中)著作資料として」『文教大学国文』第49巻、文教大学国語研究室文教大学日本語日本文学科研究室文教大学国文学会、2020年3月15日、11-48頁、CRID 1050003825012713600ISSN 0385-8782 
  4. ^ 三宅徹誠「袋中蒐集一切経の来歴と現況」『国際仏教学大学院大学研究紀要』第12巻、国際仏教学大学院大学、2008年3月31日、27-56頁、CRID 1390572174834138112doi:10.15056/00000045ISSN 1343-4128 
  5. ^ 三宅徹誠「袋中蒐集一切経の散逸について」(PDF)『仏教文化研究』第54号、淨土宗教學院、2010年、69-79頁、CRID 1521980704973382912ISSN 02871157国立国会図書館書誌ID:10768992 

関連項目

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