心の壁、愛の橋
『心の壁、愛の橋』(英語: Walls and Bridges)は、1974年9月26日にアメリカで発表されたジョン・レノンのアルバムである。『イマジン』以来3年ぶり、生前最後の全米1位を獲得した[注釈 1]。
『心の壁、愛の橋』 | ||||
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ジョン・レノン の スタジオ・アルバム | ||||
リリース | ||||
録音 | 1974年7月 - 8月 | |||
ジャンル | ロック | |||
時間 | ||||
レーベル | Apple、EMI、東芝EMI | |||
プロデュース | ジョン・レノン | |||
専門評論家によるレビュー | ||||
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チャート最高順位 | ||||
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ジョン・レノン アルバム 年表 | ||||
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解説
編集制作に至る経緯
編集1973年、オノ・ヨーコとの別居生活、いわゆる「失われた週末」をロサンゼルスで送っていたレノンは、10月からオールディーズ・カバー・アルバム『ロックン・ロール』の制作を行っていたが、プロデューサーのフィル・スペクターがセッションのテープを持って失踪してしまったため中断してしまい[1][注釈 2]、その後も再開の目処が立たなかったため[注釈 3]1974年5月、ニューヨークに戻った。プロデューサーとして制作中のハリー・ニルソンのアルバム『プシー・キャッツ』を完成させると、滞在していた ホテル・ザ・ピエールで新曲のデモ制作を始めた[4][3]。
レコーディング
編集1974年7月にニューヨークのレコード・プラント・イーストで、スタジオ・ミュージシャンとリハーサルを始めた[5]。ロサンゼルスでのレコーディングを反省して、ドラッグやアルコールは禁止され、レノンは何ヶ月ぶりかの創造的な興奮を味わったという。8月にかけて8週間かけてレコーディングされたが、 途中エルトン・ジョンが突然訪れ、「真夜中を突っ走れ」でピアノを弾き、コーラスに参加した[6]。
リリース
編集アルバムのタイトルは、レノンがこれまで自分自身と他人との間に築いてきてしまった障壁(Walls)と、それを乗り越えるための架け橋(Bridges)を渡したいという希望を指しているものになっている[7]。
9月23日にシングル「真夜中を突っ走れ」が先行リリースされる[注釈 4]とエルトン・ジョンとの競演が話題となり、レコード会社の積極的なプロモーション[注釈 5]も功を奏して、それまでのような政治色の濃いメッセージもほとんど見られなかったアルバムは高評価を得た。アメリカでは11月2日付でビルボード誌のアルバム・チャート[注釈 6]でトップ10入りすると[9]、11月16日付でアルバムとシングルが同時に1位を記録した[10]。イギリスではアルバムは6位、シングルは36位だった[11]。
このアルバムからは「#9 Dream」がセカンド・シングルとしてリリースされ 全米で9位にヒットとなり、数字「9」をラッキー・ナンバーとする[注釈 7]レノンが喜んだという[15]。またレノンが参加し、11月15日にリリースされたエルトンのシングル「ルーシー・イン・ザ・スカイ・ウィズ・ダイアモンズ」も全米1位の大ヒットとなった[16]。
1974年11月28日、レノンはマディソン・スクエア・ガーデンのエルトンのコンサートに飛び入り参加をし、ビートルズの「アイ・ソー・ハー・スタンディング・ゼア」「ルーシー・イン・ザ・スカイ・ウィズ・ダイアモンズ」とともに「真夜中を突っ走れ」を演奏した[17][18]。これは「真夜中を突っ走れ」のレコーディング中、エルトンとレノンがこの曲がチャート1位になるかどうか賭けをしており、レノンは「この曲が1位になったら、エルトンのコンサートにゲスト参加する」と約束していたためだった。これはレノンの最後の公の場でのライヴ・パフォーマンスとなった[19][注釈 8][注釈 9]。また、この日客席に来ていたヨーコとの復縁のきっかけとなったとされている。
2005年11月に「枯れた道」「果てしなき愛」「心のしとねは何処」「愛の不毛」の4曲のリミックス・ヴァージョンを含む、オノ・ヨーコ監修によるデジタル・リマスター版CDが発売された[20]。ボーナストラックとして、エルトン・ジョンとのライブ演奏による「真夜中を突っ走れ」、「愛の不毛」のアコースティック・ヴァージョン、そしてイギリスEMIのセールス・チームによって「真夜中を突っ走れ」プロモーション・スペシャル・プレス[21]に収められていたレノンのインタビューが収録されている。このリマスター版ではアートワークが変更され、レノンのサインと手書きのタイトルは残し、幼少期の絵の代わりにグルーエンが撮ったポートレートの1枚が使用された。
2010年10月に再発売されたデジタル・リマスター版CDではオリジナル・アルバム・ミックスのリマスターになり、カバーアートもオリジナルが使用された。
なお、このアルバムにはレノンが自らミックスをした4チャンネルステレオヴァージョンが存在しており[注釈 10]、アメリカで8トラックカートリッジのみでリリースされた[23]。
アートワーク
編集アルバムのアートディレクションはロイ・コハラ[注釈 11]に任せられた[25]。
2枚のフラップを使った「しかけ絵本」のように凝ったアルバム・ジャケットの表面には、11歳のレノンが描いた1952年のFAカップ決勝でニューカッスル・ユナイテッドFCのジョージ・ロブレドが決めたゴールの様子など3つの絵が使われた[12]。これらの幼少期に描いた絵は元々『ロックン・ロール』のジャケットに使用される予定だったが、レコーディングが中断してしまったため宙に浮いてしまっていたものだった[26][27]。裏面はアメリカの写真家ボブ・グルーエンによるポートレートが使われており、フラップを折り返すと表情が変わる仕掛けになっていた[7]。
付属ブックレットの表紙には、グルーエンによる眼鏡をかけていないレノンの写真、裏表紙には5つの眼鏡を重ねたレノンの写真とアイルランドの系譜学者エドワード・マクライザットの著書の中から、レノン姓とその関連形式に関する系譜論の抜粋[注釈 12]が掲載された[28]。2ページ目の制作スタッフ・クレジットの下にはウィンストン・オーブギー博士(Dr. Winston O’Boogie)[注釈 13]による「所有・占有は問題の九分」(Possession is nine tenths of the problem.)というメッセージが記されており[注釈 14]、一番下にはレノンが1974年8月23日の夜に未確認飛行物体(UFO)を見たという主張も書かれている[28]。ほかには収録曲の歌詞や演奏者のクレジットとともに、レノンが1952年に描いた絵画がさらに収録されており、題材はアメリカの西部開拓時代[注釈 15]、学校のボルト先生の肖像、風景などである[13]。またインナースリーブの表面にはもう一枚のレノンのポートレート、裏面は5つの眼鏡を重ねたレノンの写真とボルト先生の肖像を合成したものがセピア色で印刷されている[28]。
収録曲
編集オリジナル・アナログ・LP
編集# | タイトル | 作詞・作曲 | リード・ボーカル | 時間 |
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1. | 「愛を生きぬこう」(Going Down on Love) | ジョン・レノン | ジョン・レノン | |
2. | 「真夜中を突っ走れ」(Whatever Gets You Thru the Night) | ジョン・レノン |
| |
3. | 「枯れた道」(Old Dirt Road) |
| ジョン・レノン | |
4. | 「ホワット・ユー・ガット」(What You Got) | ジョン・レノン | ジョン・レノン | |
5. | 「果てしなき愛」(Bless You) | ジョン・レノン | ジョン・レノン | |
6. | 「心のしとねは何処」(Scared) | ジョン・レノン | ジョン・レノン | |
合計時間: |
# | タイトル | 作詞・作曲 | リード・ボーカル | 時間 |
---|---|---|---|---|
1. | 「夢の夢」(#9 Dream) | ジョン・レノン | ジョン・レノン | |
2. | 「予期せぬ驚き」(Surprise, Surprise(Sweet Bird of Paradox)) | ジョン・レノン | ジョン・レノン | |
3. | 「鋼のように、ガラスの如く」(Steel and Glass) | ジョン・レノン | ジョン・レノン | |
4. | 「ビーフ・ジャーキー」(Beef Jerky) | ジョン・レノン | ジョン・レノン | |
5. | 「愛の不毛」(Nobody Loves You (When You're Down and Out)) | ジョン・レノン | ジョン・レノン | |
6. | 「ヤ・ヤ」(Ya Ya) | ジョン・レノン | ||
合計時間: |
2005年デジタル・リマスター盤
編集# | タイトル | 作詞・作曲 | リード・ボーカル | 時間 |
---|---|---|---|---|
1. | 「愛を生きぬこう」(Going Down on Love) | ジョン・レノン | ジョン・レノン | |
2. | 「真夜中を突っ走れ」(Whatever Gets You Thru the Night) | ジョン・レノン |
| |
3. | 「枯れた道」(Old Dirt Road) |
| ジョン・レノン | |
4. | 「ホワット・ユー・ガット」(What You Got) | ジョン・レノン | ジョン・レノン | |
5. | 「果てしなき愛」(Bless You) | ジョン・レノン | ジョン・レノン | |
6. | 「心のしとねは何処」(Scared) | ジョン・レノン | ジョン・レノン | |
7. | 「夢の夢」(#9 Dream) | ジョン・レノン | ジョン・レノン | |
8. | 「予期せぬ驚き」(Surprise, Surprise(Sweet Bird of Paradox)) | ジョン・レノン | ジョン・レノン | |
9. | 「鋼のように、ガラスの如く」(Steel and Glass) | ジョン・レノン | ジョン・レノン | |
10. | 「ビーフ・ジャーキー」(Beef Jerky) | ジョン・レノン | ジョン・レノン | |
11. | 「愛の不毛」(Nobody Loves You (When You're Down and Out)) | ジョン・レノン | ジョン・レノン | |
12. | 「ヤ・ヤ」(Ya Ya) | ジョン・レノン | ||
13. | 「真夜中を突っ走れ(ライヴ)」(Whatever Gets You Thru the Night (Live)) | ジョン・レノン |
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14. | 「愛の不毛(未公開版)」(Nobody Loves You(When You're Down and Out)(Alternative Version)) | ジョン・レノン | ジョン・レノン | |
15. | 「ジョン・インタビュー」(John Interview (by Bob Mercer)) | |||
合計時間: |
レコーディング・メンバー
編集- ジョン・レノン - リード・ヴォーカル
※他の楽器については曲ごとに変名でクレジットしている[7]。
- ウィンストン・オガーキン博士(Dr. Winston O'Ghurkin)- ギター
- ジョン・セント・ジョン・ジョンソン閣下(Hon. John St. John Johnson)- ギター
- サムズ・ガーキン牧師(Rev. Thumbs Ghurkin)- ピアノ
- クンダリーニ船長(Kaptain Kundalini)- ギター
- フレッド・ガーキン牧師(Rev. Fred Ghurkin)- アコースティック・ギター
- メル・トーメント[注釈 16](Mel Torment)- ピアノ
- ドリーム博士(Dr. Dream)- アコースティック・ギター
- ウィンストン・オーレゲエ博士(Dr. Winston O'Reggae)- アコースティック・ギター
- ウィンストン博士とブッカー・テーブル・アンド・メートル・ディーズ[注釈 17](Dr. Winston And Booker Table And The Maitre d's)- ギター
- ドワーフ・マクドゥーガル(Dwarf McDougal)- アコースティック・ギター
- クラウス・フォアマン - ベース
- ジェシ・エド・デイヴィス - リードギター、スライド・ギター
- ジム・ケルトナー - ドラムス
- ニッキー・ホプキンス - ピアノ
- ケニー・アスチャー - ピアノ、クラビネット、ストリングス・アレンジ(#3、#6、#7、#8、#9&#11)
- リトル・ビッグ・ホーンズ
- ロン・アプレア - アルト・サクソフォーン
- ボビー・キーズ - テナー・サクソフォーン
- フランク・ヴィカーリ - テナー・サクソフォーン
- ハワード・ジョンソン - バリトン・サクソフォーン
- スティーブ・マダイオ[注釈 18] - トランペット
脚注
編集注釈
編集- ^ 『ダブル・ファンタジー』が全米1位となったのはレノンの死の20日後だった。
- ^ レノンは知らなかったが、スペクターは毎晩、セッションが終わるとスタジオからテープを取り出し、自宅に持ち帰っていた[2][3]。
- ^ その後、スペクターは交通事故を起こし瀕死の重傷を負い、退院後マスターテープを持ったまま行方をくらましてしまった[4]。
- ^ アルバムのリード・シングルをどの曲にするか迷っていたレノンは、キャピトル・レコードのマーケティング担当副社長であり、ウイングスの『バンド・オン・ザ・ラン』に商業的成功をもたらしたアル・クーリーの助言を受け入れた[8]。
- ^ キャピトルは「Listen To This ...」というポスターやTシャツ、ステッカーなどを用いた広告キャンペーンを展開し、ニューヨークでは500台のバスの背面に「Listen To This Bus」というスローガンが掲げられた。テレビとラジオのCMではリンゴ・スターがナレーションを担当し、最後にレノンが「Thank You, Ringo」とお礼を述べている。イギリスでもレノンがボブ・マーサーと対談したインタビュー・シングルをEMIがプロモーション・リリースした。
- ^ 当時はトップLP&テープ・チャート。
- ^ レノンは幼少期にニューカッスル・ロードの9番地に住んでおり、生涯この番号に魅了されていた[12][13][14]。
- ^ この模様はエルトンのシングル「メイド・イン・イングランド」に収録されている。
- ^ 生前最後のライヴ・パフォーマンスとなったのは1975年4月18日に収録されたTV番組『A Salute to Sir Lew Grade』内での演奏で、場所はニューヨークの高級ホテル、ウォルドルフ=アストリアだった。
- ^ 1974年にニューヨークで行ったWNEW-FMラジオのインタビューで、レノンは「クアッドを買う20人のために作った」と冗談を言った[22]。
- ^ アメリカの写真家、デザイナー。1963年、キャピトル・レコードのクリエイティブ・サービス部門に入社。1972年にアシスタント・アート・ディレクター、1974年にアート・ディレクターに昇進。1980年リリースのボブ・シーガー&ザ・シルヴァー・ブレット・バンドの『奔馬の如く』で1981年グラミー賞最優秀アルバム・パッケージ・グラミー賞を受賞。ビートルズの『ロックン・ロール・ミュージック』『リール・ミュージック』、レノンの『メンローヴ・アヴェニュー』のアート・ディレクションを担当した[24]。
- ^ イギリスの船乗りジョン・レノンと、アメリカの労働指導者ジョン・ブラウン・レノンが出てくる。
- ^ レノンの変名の一つでアルバム『ロックン・ロール』に収録された「ジャスト・ビコーズ」終盤の語りの中に登場している。またエルトン・ジョンのシングル「ルーシー・イン・ザ・スカイ・ウィズ・ダイアモンズ」にクレジットとして使われている。
- ^ 「所有・占有は法の九分」(Possession is nine-tenths of the law.)という、土地などの所有権は現に所有している者に属すると法的に推定されるという意味の格言になぞらえている。当時は物質文明への批判、アメリカの先住民問題、レノンが巻き込まれた著作権問題などを指していると推測されていたが、1980年のインタビューで関連する問題の一端を語っている[29]。
- ^ 叔母で保護者のミミに捧げている。
- ^ ジャズ歌手メル・トーメをもじっている。
- ^ ソウル・バンド、ブッカー・T&ザ・MG'sをもじっている。
- ^ アメリカのトランペット奏者、ソングライター、プロデューサー[30]。ローリング・ストーンズのツアーやスティーヴィー・ワンダーの作品に参加。ポール・バターフィールド・ブルース・バンドのメンバーとして知られている[31]。
出典
編集- ^ Blaney 2005, p. 142,154.
- ^ Blaney 2005, p. 154.
- ^ a b Norman 2008, p. 735.
- ^ a b Blaney 2005, p. 142.
- ^ Blaney 2005, p. 143.
- ^ Hamill, Pete (5 June 1975). “John Lennon: Long Night's Journey into Day”. Rolling Stone 2022年3月31日閲覧。
- ^ a b c Schaffner 1978, p. 174.
- ^ Pang, May (2008). Instamatic Karma: Photographs of John Lennon. St. Martin's Press. ISBN 978-0-312-37741-0
- ^ Castleman & Podrazik 1976, p. 365.
- ^ Castleman & Podrazik 1976, p. 332.
- ^ Blaney 2005, p. 135.
- ^ a b Molina, Paula (4 April 2016). “Jorge Robledo, el futbolista chileno inmortalizado en un disco de John Lennon” (スペイン語). BBC Mundo 25 April 2017閲覧。
- ^ a b Herbert, Ian (19 July 2005). “When I'm 65: art exhibition marks Lennon's birthday”. The Independent (London). オリジナルの28 October 2014時点におけるアーカイブ。
- ^ Walker, Michael (4 May 2019). “Michael Walker: subplots abound as Benitez and Newcastle block Liverpool's way”. The Irish Times 12 November 2020閲覧。
- ^ Blaney 2005, p. 151.
- ^ “The Hot 100 Chart”. Billboard (1975年1月11日). 2021年1月20日閲覧。
- ^ Rodriguez 2010, p. 61.
- ^ Spizer 2005, p. 82.
- ^ Rodriguez 2010, p. 62.
- ^ “John Lennon – Walls And Bridges (2005 Europe CD)”. Discogs. 30 January 2022閲覧。
- ^ “John Lennon – Interview With John Lennon By Bob Mercer And A Message To The Salesmen”. Discogs. 30 January 2022閲覧。
- ^ Madinger & Easter 2000, p. 97–98.
- ^ Blaney 2005, p. 144.
- ^ “Roy Kohara”. Discogs. 2022年3月31日閲覧。
- ^ Spizer 2005, p. 88.
- ^ “Beatle Brunch looks back 30 years ago this month to a very special Lennon anniversary”. Joe Johnson's Beatle Brunch (2004年). 23 September 2011閲覧。
- ^ John Lennon, Interview, WNEW-FM New York, September 1974
- ^ a b c Walls and Bridges (Booklet). John Lennon. Apple, EMI. 1974.
- ^ Sheff 2020, p. 181-190.
- ^ “Steve Madaio”. www.discogs.com. 2024年12月15日閲覧。
- ^ “ストーンズ、スティーヴィー、ポール・バターフィールドらと共演 トランペット奏者のスティーヴ・マダイオが死去”. amass (2023年10月28日). 2019年1月18日閲覧。
参考文献
編集- Castleman, Harry; Podrazik, Walter J. (1976). All Together Now: The First Complete Beatles Discography 1961–1975. New York, NY: Ballantine Books. ISBN 0-345-25680-8
- Schaffner, Nicholas (1978). The Beatles Forever. McGraw-Hill. ISBN 0-07-055087-5
- Madinger, Chip; Easter, Mark (2000). Eight Arms to Hold You: The Solo Beatles Compendium. Chesterfield, MO: 44.1 Productions. ISBN 0-615-11724-4
- Blaney, John (2005). John Lennon: Listen to This Book. John Blaney. ISBN 978-0-9544528-1-0
- Spizer, Bruce (2005). The Beatles Solo on Apple Records. 498 Productions. ISBN 0-9662649-5-9
- Norman, Philip (2008). John Lennon: The Life. New York, NY: HarperCollins. ISBN 978-0-06-075401-3
- Rodriguez, Robert (2010). Fab Four FAQ 2.0: The Beatles' Solo Years, 1970–1980. Milwaukee, WI: Backbeat Books. ISBN 978-1-4165-9093-4
- Sheff, David 山川真理訳 (2020). ジョン・レノン&オノ・ヨーコ プレイボーイ・インタヴュー1980完全版. シンコーミュージック・エンタテイメント. ISBN 978-4-401-64959-4
先代 キャロル・キング 『喜びにつつまれて』 |
Billboard 200 ナンバーワンアルバム 1974年11月16日(1週) |
次代 ローリング・ストーンズ 『イッツ・オンリー・ロックン・ロール』 |
外部リンク
編集- Walls and Bridges - John Lennon