徳大寺実孝

鎌倉時代後期の廷臣 (1293–1322)

徳大寺 実孝(とくだいじ さねたか)は、鎌倉時代後期の公卿。官位は正二位権中納言

 
徳大寺実孝
時代 鎌倉時代後期
生誕 永仁元年(1293年
死没 元亨2年1月17日1322年2月3日
官位 正二位権中納言
主君 後二条天皇花園天皇後醍醐天皇
氏族 徳大寺家
父母 父:徳大寺公孝、母:二条良実の娘
兄弟 実孝忻子
西園寺公相の娘
公清、性弘、洞院実世
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経歴

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永仁2年(1294年)に叙爵。以降累進して、延慶2年(1309年)に従三位となり、公卿に列する。応長元年(1311年)に権中納言を拝命。文保元年(1317年)には正二位へと進む。

死没時期は、異説もある。

建武2年(1335年)7月の中先代の乱の幇助により、後醍醐天皇の勘気を受けて、徳大寺家の荘園粟井荘に配流された。粟井荘に居住(粟井中御所垣内)すること11年間、旅の仮宿で貞和3年(1347年)3月8日57歳の生涯を終える(墓所は、粟井中にある)。

[1]

系譜

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関連項目

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  1. ^ 岡山県美作市小房にある小房城跡の掲示看板「小房城の由来」作東町教育委員会