建部長教
建部 長教(たけべ ながのり)は、江戸時代中期の大名。播磨国林田藩の第6代藩主。官位は従五位下・近江守。
時代 | 江戸時代中期 |
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生誕 | 享保9年(1724年) |
死没 | 明和元年7月10日(1764年8月7日) |
改名 | 庄九郎、内膳、長教 |
墓所 | 京都市北区紫野の大徳寺芳春院 |
官位 | 従五位下・近江守 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川家治 |
藩 | 播磨林田藩主 |
氏族 | 建部氏 |
父母 | 父:建部政民、母:板倉重同の娘 |
兄弟 | 長教、政賢、米津政崇正室、板倉勝該正室、本多政寛正室、本多紀智正室、大嶋義勝室ら |
妻 | 松平光慈の娘 |
子 | 養子:政賢 |
略歴
編集第5代藩主・建部政民の長男として誕生した。幼名は庄九郎、内膳。
宝暦12年(1762年)6月24日、父の隠居により跡を継ぐ。同年12月18日に叙任する。しかし2年後の明和元年(1764年)7月10日に41歳で死去し、跡を弟の政賢が継いだ。墓所は京都府京都市北区紫野の大徳寺芳春院。