米津 政崇(よねきつ まさたか)は、江戸時代中期の大名武蔵国久喜藩4代藩主。官位従五位下伯耆守越中守

 
米津政崇
時代 江戸時代中期
生誕 享保9年(1724年
死没 天明4年5月21日1784年7月8日
改名 勘兵衛(幼名)、政崇
戒名 遠室紹久真性院
墓所 東京都東久留米市前沢の米津寺
官位 従五位下伯耆守越中守
幕府 江戸幕府
主君 徳川吉宗家重家治
武蔵久喜藩
氏族 米津氏
父母 米津政容
兄弟 政崇武田信村婚約者、酒井忠陸正室、
酒井忠陸継室、近藤英用継室、
青木直暢正室、
竹中元躊正室ら
建部政民
通政政美金森政樹関盛有正室
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略歴

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享保9年(1724年)、3代藩主・米津政容の三男として誕生した。長兄と次兄が早世したために世子となり、元文4年(1739年)の父の死去により家督を継いだ。延享4年(1747年)3月に大番頭に任じられ、寛延2年(1749年)8月に大坂定番に任じられたが、10月に辞職した。

明和4年(1767年)10月11日、子の通政に家督を譲って隠居する。

天明4年(1784年)5月21日、死去。享年61。

墓所は東京都東久留米市米津寺内にある米津家大名墓所(東京都指定史跡)[1]

系譜

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出典

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  1. ^ 久留米の文化財第22号”. 東久留米市. 2020年3月15日閲覧。