広島県立広島皆実高等学校

広島県広島市にある高等学校

広島県立広島皆実高等学校(ひろしまけんりつ ひろしまみなみ こうとうがっこう)は、広島県広島市南区出汐に所在する県立高等学校

広島県立広島皆実高等学校
地図北緯34度22分35.1秒 東経132度28分31.7秒 / 北緯34.376417度 東経132.475472度 / 34.376417; 132.475472座標: 北緯34度22分35.1秒 東経132度28分31.7秒 / 北緯34.376417度 東経132.475472度 / 34.376417; 132.475472
過去の名称 県立広島高等女学校→県立広島第一高等女学校→広島県広島有朋高等学校
県立広島第二高等女学校→広島県広南高等学校
広島県広島工業高等学校(のち分離)
広島市立工業高等学校
(4校再編統合)→広島県広島皆実高等学校
国公私立の別 公立学校県立
設置者 広島県の旗 広島県
校訓 勤勉・強行・責任・自由
設立年月日 1901年明治34年)12月28日
共学・別学 男女共学
課程 全日制課程
単位制・学年制 単位制
設置学科 普通科
衛生看護科
体育科
専攻科 看護専攻科
学期 3学期制
学校コード D134210000015 ウィキデータを編集
高校コード 34103H
所在地 734-0001
広島県広島市南区出汐二丁目4-76
外部リンク 公式サイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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体育科衛生看護科を併設し、広島県内の公立高校で唯一、看護教育を行っている。

概観

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歴史
1901年明治34年)創設の「広島県立広島高等女学校」を前身とし、2011年平成23年)に創立110周年を迎えた。
設置課程・学科
全日制課程 3学科(単位制
校訓
「勤勉・強行・責任・自由」
学校教育目標
「教育基本法その他教育関係法令に基づき、心身ともに健康にして、高い知性・豊かな情操・強い意志をもった青年の育成をはかる。」
校章
現校章は二代目。工業科が広島県広島工業高等学校として分離した1953年昭和28年)に制定された。の葉と結晶の絵を組み合わせたデザインとなっている。
校歌
1961年(昭和36年)に制定。作詞は広島皆実高等学校、作曲は高木東六による。歌詞は3番まであり、校名の「皆実」は3番に登場する。
制服
男子の冬服は学生服(学ラン)、女子の冬服はセーラー服
同窓会
「皆実有朋会」と称している。東京近畿奈良県)に支部を置く。
国際交流校
  韓国ソウル大新高等学校朝鮮語版(大新の読みは「テシン」)- 1991年(平成3年)より交流を開始。

沿革

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高等女学校時代

  • 1901年(明治34年)
  • 1902年(明治35年)
  • 1903年(明治36年)
  • 1904年(明治37年)5月28日 - 校友会(生徒会)が発足。
  • 1905年(明治38年)11月3日 - 校友会機関誌「真巳とのとく」を発行。
  • 1906年(明治39年)
    • 3月27日 - 第1回卒業式を挙行。77名が卒業。
    • 4月1日 - 補習科(修業年限1ヶ年・定員100名)を設置。
    • この年 - 図書室を開設。
  • 1907年(明治40年)11月25日 - 閑院宮妃が来校し、裁縫薙刀・遊戯体操の授業を視察。
  • 1908年(明治41年)10月16日 - 家事作法教室を新装。
  • 1909年(明治42年)
    • 2月4日 - 同窓会「有朋会」が発足。
    • 3月 - 募集定員を50名増員し、150名とする。
  • 1910年(明治43年)
    • 1月21日 - 校友会事業として160本を植樹。
    • 3月 - 募集定員を元の100名に戻す。
  • 1913年大正2年)9月10日 - 雨天体操場が完成。体操服を制定。
  • 1915年(大正4年)
  • 1916年(大正5年)2月2日 - 募集定員を50名増員し、150名とする。
  • 1917年(大正6年)
    • 2月2日 - 募集定員を更に50名増員し、200名とする。
    • 10月10日 - 卒業生を開催し、割烹講習会を開催。
  • 1918年(大正7年)8月31日 - 米騒動のため、寄宿舎生が飯用米を持って帰舎。
  • 1919年(大正8年)6月15日 - 裁縫および洗濯教室が落成。
  • 1920年(大正9年)
    • 3月30日 - 家事補習専攻の(修業年限3ヶ年・生徒定員50名)の設置が認可される。
    • 9月 - 専攻科教室(2階建)「白塔」が完成
    • この年 - 校章と制服を制定。
  • 1921年(大正10年)3月- 募集定員を50名増員し、250名とする。
  • 1922年(大正11年)2月28日 - 本館と付属施設が完成。
  • 1923年(大正12年)
    • 3月5日 - 千田町に寄宿舎が完成。
    • 4月1日 - 家事補習専攻科を専攻科に改称。
  • 1924年(大正13年)
    • 3月 - 同年4月入学生より、修業年限を1年延長し5ヶ年とする。
    • 5月16日 - 定員が1200名となる。
  • 1926年(大正15年)
  • 1927年(昭和2年)3月 - 4ヶ年課程(1923年(大正12年)4月入学生)最後の卒業式を挙行。
  • 1928年(昭和3年)3月5日 - 広島女子専門学校県立広島大学の前身)の設立により、専攻科を廃止。
  • 1929年(昭和4年)1月16日 - 裁縫室を焼失。
  • 1930年(昭和5年)11月7日 - 明治天皇文庫を創設。
  • 1934年(昭和9年)10月31日 - 校旗を制定。
  • 1935年(昭和10年)
  • 1940年(昭和15年)- 紀元2600年奉祝式を挙行。
  • 1941年(昭和16年)
    • 4月1日 - 宇品に広島県立広島第二高等女学校[1] が開校したことにより、「広島県立広島第一高等女学校」と改称。
    • 4月15日 - 勤労報国隊を結成。
    • 11月22日 - 安佐郡八木村に修練道場を開設。
  • 1942年(昭和17年)
    • 1月8日 -「大詔奉戴日」を制定し、護国神社参拝を実施。
    • 10月1日 - 雨天体操場が完成。
    • この年 - 修学旅行が中止となり、代わりに宮島遠足と各学期1回の行軍を実施。
  • 1943年(昭和18年)
    • 4月1日 - 高等女学校規定により、修業年限が1年短縮され、4ヶ年となる。3年生以上に英語を課さず、農作業・教練等を強化。
    • この年 - 4年生以上による広島陸軍被服支廠での作業奉仕が開始。
  • 1944年(昭和19年) - 5年生が広海軍工廠へ勤労動員される。雨天体操場にミシンが設置され、4年生が広島陸軍被服支廠の作業を行う。
  • 1945年(昭和20年)
    • 3月1日 - 5年生と4年生の同時卒業式を挙行。5年卒業者は広海軍航空廠へ、4年卒業者は広島陸軍被服支廠川内村工場への動員が継続される。
    • 3月7日 - 2年生が広島印刷・広島航空に動員される。
    • 4月29日 - 4年生が東洋工業・広島航空に動員される。
    • 7月1日 - 戦況の悪化を受け、千田町寄宿舎が川内村へ疎開
    • 7月18日 - 2年生が広島印刷・広島航空・陸軍被服廠川内村工場に動員される。
    • 7月23日 - 1年生が川内国民学校(現・広島市立川内小学校)で分散授業を開始。授業は週1日程度となる。1年生の一部は建物疎開作業に従事。
    • 8月6日 - 広島市への原子爆弾投下により、甚大な被害を受ける。
      • 爆心地から650mの校舎は倒壊の上、焼失。校長と教職員19名、建物疎開作業中の1年生他生徒281名[注釈 2]が死亡。
    • 9月2日 - 被爆後最初の職員会議と保護者会役員会を草津町で開く。
    • 9月30日 - 学校本部を草津町さくら寮に置き、さくら寮・川内国民学校・八木修練道場の3か所で分散授業を開始。元・大竹海兵団より机の転用をうけ搬入。
    • 12月20日 - 草津教専寺で原爆犠牲教職員生徒の慰霊祭を執行。
  • 1946年(昭和21年)
    • 1月22日 - 分散授業場を草津町のさくら寮と、出汐町の元広島陸軍被服支廠倉庫の2か所とする。
    • 4月1日 - 修業年限が5ヶ年に戻る。
    • 4月12日 - 元・広島陸軍被服支廠の一部倉庫を修理し、全生徒を収容して授業を再開。
    • 5月6日 - 下中町の旧校地跡に、被爆教職員生徒の慰霊木碑を建立。
    • 8月6日 - 慰霊碑前で被爆一周年追悼会を執行。哀悼歌(作詞:岸谷敞子)を合唱。
    • 秋 - 第1回復興祭を開催。校友会(生徒会)活動・クラブ活動を再開。
  • 1947年(昭和22年)
    • 4月 - 学制改革(六・三制の実施)により、暫定措置として新制中学校を併設(以下、併設中学校)し、同年3月時点で高女1・2年の生徒を新制中学校2・3年生として収容。
    • 5月19日 - 元・広島陸軍被服支廠倉庫から木造建物に校舎を移転し、旧・広島被服支廠本館を学校の本館とする。
    • 秋 - 第2回復興祭を行い、復興歌を制定。修学旅行が復活。
  • 1948年(昭和23年)3月25日 - 高等女学校最後の卒業式を挙行。267名が卒業。

新制高等学校

  • 1948年(昭和23年)
    • 5月3日 - 学制改革(六・三・三制の実施)
      • 広島県立広島第一高等女学校が廃止され、新制高等学校広島県広島有朋高等学校」(有朋の読みは「ゆうほう」、女子校)が発足。
        • 併設中学校を継承。併設中学校卒業生を新高校1年生、同年3月時点で高女4年を新高校2年生、高女卒業生(希望者)を新高校3年生として収容。
      • 広島県立広島第二高等女学校が廃止され、新制高等学校「広島県広南高等学校」(女子校)が発足。
    • 9月22日 - 生徒自治大会を開催し「あけぼの会」(会長 長谷川澪子)誕生。
    • 10月10日 - 保護者会に代わり、PTAが発足。
  • 1949年(昭和24年)
    • 3月13日 - 有朋高等学校の解散惜別音楽会を広島高等学校講堂で開催。
    • 3月19日 - 有朋高等学校の最初で最後の卒業式を挙行。卒業生は104名。
    • 3月31日 - 暫定措置として設置されていた併設中学校が、最後の卒業生(1946年(昭和21年)高女入学生)を送り出し、廃止される。
    • 4月30日 - 高校再編により、下記4校が統合され総合制高等学校「広島県広島皆実高等学校」が発足。普通課程・生活課程・工業課程を設置。男女共学となる。
      • 県立3校(広島県広島有朋高等学校・広島県広南高等学校・広島県広島工業高等学校)と市立1校(広島市立工業高等学校)の計4校。
    • 5月9日 - 開校式を挙行。
    • 6月8日 - 初代校章(羽根ペン)を制定。
  • 1950年(昭和25年)
    • 3月1日 - 広島皆実高等学校としての第1回卒業式を挙行。普通科131名と工業科317名が卒業。
    • 7月1日 - 家庭クラブを結成。
    • 8月20日 - 皆実同窓会を結成。
    • この年 - 北グラウンドが整備され、スタンドが設置される。
  • 1951年(昭和26年)
    • 1月 - B校舎の移転改修工事を完了。
    • 9月 - C校舎が完成。
  • 1952年(昭和27年)
    • 1月25日 - 第1回校内マラソン大会を開催。
    • 2月20日 - 生徒歌「友よ」(作詞は坂下喜治と珠山哲弥、作曲は北千枝子による)が発表される。
    • 9月1日 - 女子の制服を制定。
    • 11月1日 - 三段峡遭難で工業部の生徒7名が死亡。
  • 1953年(昭和28年)
  • 1954年(昭和29年)
    • 5月23日 - 有朋会と皆実同窓会が合併し、「社団法人皆実有朋会」が発足。
  • 1955年(昭和30年)
    • 6月24日 - 木造2階建ての中校舎が完成。
    • 8月5日 - 広島県立第一高等女学校原爆犠牲者遺族会が発足。旧第一高女正門跡に「原爆犠牲者追憶之碑」を建立し、慰霊祭を執行。
    • 9月1日 - 相談室を設置し、カウンセリングを開始。
  • 1956年(昭和31年)
  • 1958年(昭和33年)
    • 2月22日 - 北校舎が完成。
    • 4月6日 - 皆実有朋会(同窓会)が生徒会売店の仕入れ・経営を行う。
    • 4月30日 - 生徒ホールが完成。旧校舎の一部を柔道場に改造。
  • 1959年(昭和34年)9月22日 - 隣接する広島工業高校との間で使用グランドを決定し、北グラウンドが割り当てられる。
  • 1960年(昭和35年)4月28日 - 同窓会の寄贈により「皆実有朋プール」が完成。
  • 1961年(昭和36年)
    • 4月6日 - 校旗を制定。
    • 5月3日 - 校歌(現校歌)を制定。
    • 5月 - 同窓会結婚相談所「柏葉会」が発足。(1977年(昭和52年)12月に解散)
  • 1962年(昭和37年)
  • 1963年(昭和38年)5月13日 - 1号館が完成。
  • 1964年(昭和39年)5月12日 - 鉄筋コンクリート3階建ての新本館と渡り廊下等が完成。旧本館は生徒急増期のため解体を延期の上、美術・書道教室に臨時改造。
  • 1965年(昭和40年)
  • 1966年(昭和41年)
    • 4月1日 - 衛生看護学科(生徒定員1学年、40名)を新設。
    • 6月10日 - クラブ部室が完成。
    • 8月31日 - 農林事務所を改造の上、衛生看護学科の仮校舎とする。
  • 1967年(昭和42年)
  • 1968年(昭和43年)10月1日 - 「広島県立広島皆実高等学校」(現校名)に改称(県の後に「立」が加えられる)。
  • 1969年(昭和44年)4月1日 - 衛生看護専攻科(2年間)を新設。
  • 1970年(昭和45年)
    • 5月28日 - 家庭クラブを発展的に解消し、「白樺会」とする。
    • この年 - 水泳大会と柔剣道大会を廃止。
  • 1971年(昭和46年)4月16日 - 同窓会館「皆実有朋会館」が完成。
  • 1972年(昭和47年)
    • 3月1日 - 隣接の広島工業高校との校地交換が決定。
    • 3月15日 - 衛生看護科・専攻科校舎が完成。
  • 1973年(昭和48年)3月31日 - 4号館が完成。
  • 1974年(昭和49年)
  • 1977年(昭和52年)3月31日 - 衛生看護学科の寄宿舎を廃止。
  • 1978年(昭和53年)3月17日 - 平和教育「先輩諸姉の被爆体験を聞く会」を実施。
  • 1980年(昭和55年)4月16日 - グラウンド前に自転車置き場を設置。
  • 1981年(昭和56年)
    • 3月31日 - 3号館の一部と渡り廊下が完成。
    • 8月23日 - 皆実有朋会が教育振興資金のための基金募集を開始。
  • 1982年(昭和57年)
    • 3月31日 - 3号館特別教室一部が完成。
    • 8月6日 - 原爆犠牲者銘板を除幕。
  • 1987年(昭和62年)7月26日 - 弓道場が完成。
  • 1989年(平成元年)1月24日 - 広島工業高校との共用プールが完成。
  • 1990年(平成2年)3月31日 - 1号館と2号館校舎のリフレッシュ工事が完成。クラブハウスが完成
  • 1992年(平成4年)
    • 4月1日 - 体育科(生徒定員40名、学区は全県一円)を新設。
    • 7月18日 - 皆実高校スポーツ交流団が訪韓。
    • 12月20日 - 第二体育館が完成。
  • 1993年(平成5年)3月16日 - グラウンド改修工事が完了。
  • 1996年(平成8年)3月31日 - 2号館と特活校舎のリフレッシュ工事が完了。
  • 1997年(平成9年)3月31日 - 第一体育館下の雨天練習場人工芝工事が完了。
  • 1998年(平成10年) - 総合選抜制度全廃。普通科も単独選抜に移行。
  • 1999年(平成11年)8月31日 - 看護在宅実習室の整備工事が完了。
  • 2002年(平成14年)
    • 3月25日 - 皆実会館が完成。
    • 4月1日 - 5年一貫看護教育(3年+専攻科2年)の開始。
    • 10月31日 - 7号棟・39号棟の内部リフレッシュ工事が完了。
  • 2003年(平成15年)3月26日 - 防球ネットを設置。
  • 2004年(平成16年)
    • 3月26日 - 駐輪場を新設。
    • 5月31日 - PTAにより普通教室34室に空調が設置。
  • 2005年(平成17年)3月31日 - 第二情報数室を新設。
  • 2009年(平成21年)1月12日 - サッカー部が、3年連続8回目で出場した第87回全国高等学校サッカー選手権大会で初優勝(創部60年目)。

学校行事

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  • 新入生歓迎遠足
  • 皆実祭
  • 体育科野外活動
  • 運動会
  • 修学旅行(東京)
  • 合唱祭
  • 韓国親善校との国際交流
  • マラソン部・弓道部・剣道部が全国大会への出場経験あり。近年は水泳部・卓球部が県大会上位入賞している。中でもサッカー部は全国大会の強豪校で知られ、2008年の高校サッカー選手権では初優勝を果たした。

著名な出身者

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50音順

サッカー

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その他スポーツ

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芸能

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ミュージシャン

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マスコミ

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作家

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漫画家

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実業家

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学者

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その他

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交通アクセス

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最寄りの鉄道駅

最寄りのバス停

  • 広島駅から
    • 広電バス(青)・広島バス(赤)・広島交通(オレンジ)
      • まちのわループ右回り(302号線) 「出汐二丁目」バス停
    • 広電バス(青)・広島バス(赤)
      • 大学病院行き(322号線) 「大学病院入口」バス停
      • 旭町循環線(332号線) 「大学病院入口」バス停
    • 広島バス(赤)
      • 県病院行き(342号線) 「出汐二丁目」バス停
      • 広島みなと新線広島港行き(312号線) 「出汐二丁目」バス停

最寄りの道路

脚注

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注釈

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  1. ^ 正式名称:愛国婦人会広島県支部広島県立広島高等女学校子女団
  2. ^ 277名とも。

出典

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  1. ^ 広島県立第二高等女学校記念碑 - ヒロシマの今から過去を見て回る会ウェブサイト
  2. ^ 元TBSアナ・久保田智子教育長が挑む「子どもが主語になる学校」”. 毎日新聞. 2024年4月27日閲覧。
  3. ^ 元TBSアナの久保田智子氏、姫路市教育長に就任…特別養子縁組で女の子を家族に迎えた経験語る”. 読売新聞オンライン (2024年4月2日). 2024年4月27日閲覧。

関連項目

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外部リンク

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