帝国座 (札幌市)
帝国座(ていこくざ)は、かつて北海道札幌市中央区狸小路1丁目(南3条西1丁目)にて、天野興業株式会社が経営・運営していた映画館である。
帝国座 Teikokuza | |
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情報 | |
通称 | 帝国座・スカラ座→帝国座会館1・2、ポーラスター |
正式名称 | 帝国座 |
開館 | 1976年 |
開館公演 | ラッキー・レディ/四銃士(帝国座)[1] |
閉館 | 2003年9月5日 |
最終公演 |
ハルク(帝国座会館1) ターミネーター3(帝国座会館2) 家宝/D.I.(ポーラスター) |
収容人員 | (3館合計)790人 |
設備 |
ドルビーデジタルサラウンドEX、70mm映写機(帝国座会館1) ドルビーデジタル5.1ch(帝国座会館2) ドルビー5.0ch(ポーラスター) |
用途 | 映画上映 |
運営 | 天野興業株式会社 |
所在地 |
〒060-0063 北海道札幌市中央区南3条西1丁目3-1(狸小路1丁目) |
最寄駅 | 豊水すすきの駅1番出口より徒歩2分 |
最寄バス停 | 北海道中央バス「南4条」停留所(国道36号沿い) |
帝国座ビル Teikokuza Building | |
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店舗概要 | |
所在地 |
〒060-0063 北海道札幌市中央区南3条西1丁目3-1 |
開業日 | 1976年 |
閉業日 | 2003年9月5日 |
建物名称 | 帝国座ビル |
施設所有者 | 天野興業株式会社 |
中核店舗 | 映画館(帝国座会館1・2、ポーラスター)、ゲームセンター(プラボ帝国座店) |
営業時間 | 各階によって異なる |
前身 | 帝国座・帝国地下劇場→スカラ座 |
後身 |
グレンパーク札幌プレミアタワー ↓ UURコート札幌南3条プレミアタワー |
最寄駅 | 豊水すすきの駅 |
沿革
編集概要
編集1892年(明治25年)、一丁一家の代貸元[2]の高橋直吉[3]により建設された寄席「札幌亭」がその前身[1]。第一次世界大戦が始まった1914年(大正3年)、札幌亭跡地を薮惣七が売却し、劇場「ルナパーク」を開設する[1]。大正末年の1920年代には「帝国館」と称していたが[4]、昭和に入ってからは「盛賑館」と改称。函館市出身の俳優・益田喜頓が『赤い風車レビュー団』の一員として舞台に立ったこともある[5]。
1938年(昭和13年)、現法人創業者の天野房次郎に事業譲渡され、館名を「帝国座」とする。第二次世界大戦終戦後は「第一東宝劇場」に改称していた時期もあった[1]。
1949年(昭和24年)12月、地下1階に「帝国地下劇場」を新設[6]。日本で初めてビルの地下に出来た劇場として、当時は全国各地から同業者が見学に来ていたほどの珍しさで話題となる。その後帝国地下劇場は1970年(昭和45年)に「スカラ座」と改称。洋画ロードショー館となる[7]。ちなみにこの年には南4条西3丁目にあったライバル館「松竹座」が閉館している。
スカラ座にて『エマニエル夫人』が封切られ大ヒットした翌年の1975年(昭和50年)暮れ、火災により建物が焼失[7]。翌1976年(昭和51年)、地上4階地下1階建ての帝国座ビルに改築。同ビルのアーケード側2階に帝国座、地下1階にスカラ座が入居し新たなスタートを切る[1]。また1982年(昭和57年)には、南向きの道路側の地下1階にミニシアター「ポーラスター」を新設している[8]。東映所属の映画プロデューサーで、『探偵はBARにいる』などの脚本も手掛ける須藤泰司(札幌市出身)は、小学生の頃に帝国座で『ルパン三世 カリオストロの城』(宮崎駿監督)と『Mr.Boo!ギャンブル大将』(マイケル・ホイ監督)を二本立で観たという[9]。
1997年(平成9年)5月、帝国座・スカラ座を「帝国座会館」に統一。音響面も5.0chのドルビーサラウンドから5.1chのドルビーデジタルにパワーアップした(ただしポーラスターはドルビーサラウンドのままだった)。同時期には近隣の須貝ビル(後のディノス札幌中央)内の映画館7スクリーンが「スガイシネプレックス札幌劇場」[注 1]に名称統一。さらに1998年(平成10年)にはミニシアター「シアターキノ」が狸小路6丁目に移転し、狸小路商店街の映画館は5サイト・9スクリーンとなっていた[注 2]。
2000年代以降も『ザ・ビーチ』[11]『千と千尋の神隠し』[12]などのヒット作を上映したが、2003年(平成15年)、かつて天野興業が運営していた映画館「テアトルポー」→「シネマさっぽろ」(1998年5月10日閉館)があった札幌駅前にシネマコンプレックス「札幌シネマフロンティア」が開業したことに伴い、長年の付き合いであった東宝との配給契約を打ち切ったことで一気に陰りが出てしまい、同系列館だった「東宝日本劇場」が閉館に追い込まれた5日後の同年9月5日、運営会社の天野興業は負債総額10億円を抱えて自己破産を申請。これにより札幌亭時代から111年に及ぶ歴史にピリオドを打った。
閉館から1年後に建物は解体され、2006年(平成18年)9月、地上17階建ての高層マンション「UURコート札幌南3条プレミアタワー」(当初の名称はグレンパーク札幌プレミアタワー)[13]が新築完成。同ビル内に映画館はないが、アーケード側1・2階にファッションショップ「WEGO札幌店」[14]が入居している。
施設データ
編集改築当時は1階にイベントホール、地下1階のスカラ座隣に喫茶店「観珈場」があった[7]。その後1階のイベントホールはビリヤード場を経てナムコ直営のゲームセンター「プラボ」[注 3]と変遷した。下記の表は、同ビル内にあった映画館である。
館名 | 所在階 | 座席数 (閉館時) |
特徴 |
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帝国座会館1 (帝国座) |
2階 | 507 | 東宝の洋画をメインに上映。 70ミリ上映やドルビーデジタルサラウンドEXにも対応した大型映画館。 日比谷映画→日劇プラザ→日比谷スカラ座系の作品が多かった。 |
帝国座会館2 (スカラ座) |
地下1階 | 208 | ドルビーデジタル対応。やや特徴のある東宝系の洋画・邦画を上映。 みゆき座やニュー東宝シネマの作品が多かった。 |
ポーラスター | ビル南向き 地下1階 |
75 | 当初は名画座としてスタートしたが、80年代末からミニシアター系作品の上映が多くなり、 『ニュー・シネマ・パラダイス』などのヒット作を輩出。 1990年から2003年まで毎年4月下旬~5月下旬の間、道新スポーツ主催による 「メモリアル・シネマ・フェスタ」と題した名作映画上映会が行われていた[8]。 |
関連項目
編集脚注
編集注釈
編集- ^ 後にディノスシネマズ札幌劇場として6スクリーンに縮小。
- ^ 2000年の映画館(北海道地方)「消えた映画館の記憶」を参照した[10]。
- ^ 現在は札幌エスタ9階にて「namco札幌エスタ店」として営業中である。
出典
編集- ^ a b c d e 和田由美『ほっかいどう映画館グラフィティー「帝国座」(札幌市)』亜璃西社(原著2015年11月25日)、32-33頁。ISBN 978-4-906740-18-5。
- ^ 原文ママ
- ^ 沼田寅松 土屋幸三『現代国士侠客列伝』P211
- ^ “全国主要映画館便覧(大正後期編)北海道”. みつ豆CINEMA. 2013年8月10日閲覧。
- ^ 長谷部一夫 (2014年1月12日). “狸小路①”. 札幌散歩. Hakodate West 珊瑚会札幌支部. 2014年1月24日閲覧。
- ^ 「⑧北海道地方 - 札幌市(116館)」『全国映画館総覧 1955』時事通信社、1955年、194頁。「帝国座(当時の座席数は500席)/帝国地下劇場(同250席)」
- ^ a b c 和田由美 (2013年8月9日). “ほっかいどう映画館グラフィティー「スカラ座」(札幌市)”. 朝日新聞 (朝日新聞北海道支社) 2013年8月10日閲覧。
- ^ a b 和田由美「ほっかいどう映画館グラフィティー「ポーラスター」(札幌市)」『朝日新聞』朝日新聞北海道支社、2013年11月1日。2021年1月6日閲覧。
- ^ “大泉洋VSルパン三世 早稲田松竹大作戦!”. 早稲田松竹 (2012年2月18日). 2017年7月29日閲覧。
- ^ 日本映画製作者連盟配給部会『映画年鑑 2000年版別冊 映画館名簿』時事映画通信社、1999年。
- ^ “上映劇場リスト”. ザ・ビーチ. 20世紀フォックス. 2013年8月10日閲覧。
- ^ 「商店街を元気にするために、映画館という場所をどう生かすか」(PDF)『まちのモト』Vol.1、札幌市、2010年6月、7-8頁、2016年7月27日閲覧。
- ^ “UURコート札幌南3条プレミアタワー”. SUUMO物件ライブラリー. リクルート (2018年9月17日). 2018年9月18日閲覧。
- ^ “WEGO札幌店”. 株式会社ウィゴー. 2018年9月18日閲覧。