川勝氏方
川勝 氏方(かわかつ うじかた)は、江戸時代中期の旗本。継氏系重氏流川勝家の5代当主。
時代 | 江戸時代中期 |
---|---|
生誕 | 正徳5年(1715年) |
死没 | 宝暦10年9月24日(1760年11月1日) |
別名 | 左次郎、友次郎、市郎右衛門(通称) |
戒名 | 偶虎(法名) |
墓所 | 東京都文京区小石川の光岳寺 |
幕府 | 江戸幕府 旗本 |
主君 | 徳川吉宗→家重 |
氏族 | 川勝氏 |
父母 | 父:川勝氏令、母:松本氏 |
兄弟 | 氏方、女子(三好長憙室) |
妻 | 正室:小野忠久の娘 |
子 |
氏定、女子(三好長憙の養女)、 女子、女子 |
生涯
編集正徳5年(1715年)、川勝氏令の嫡男として江戸に生まれた。享保16年(1731年)3月22日、初めて将軍徳川吉宗に謁見した。享保20年(1735年)9月19日、小姓組に列した。
宝暦5年(1755年)10月23日、父氏令の死去により、その家督(丹波・武蔵内700石)を継いだ。5年足らずの当主であった。
宝暦10年(1760年)9月24日、46歳で没した。家督は嫡男の氏定が継いだ。
脚注
編集参考文献
編集- 『寛政重修諸家譜(第18)新訂』続群書類従完成会、1981年
|
|
|