川勝 氏定(かわかつ うじさだ)は、江戸時代中期から後期の旗本。継氏系重氏流川勝家の6代当主。『寛政重修諸家譜』編纂時の当主。定紋は釘抜。

 
川勝氏定
時代 江戸時代中期 - 江戸時代後期
生誕 元文5年(1740年
死没 不明
別名 金次郎(通称)
墓所 東京都文京区小石川の光岳寺
幕府 江戸幕府 旗本
主君 徳川家治家斉
氏族 川勝氏
父母 父:川勝氏方、母:小野忠久の娘
兄弟 氏定、女子(三好長憙の養女)、
女子、女子
正室:市橋長能の娘
継室:田付直政の娘、堀長寛の娘、
土屋易直の娘
養子に氏隣小野忠喜の二男)、
氏亮大道寺直近の三男)
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生涯

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元文5年(1740年)、川勝氏方の嫡男として江戸に生まれた。宝暦10年(1760年)12月4日、父氏方の死去により、21歳でその家督(丹波武蔵内700石)継いだ。宝暦11年(1761年)2月25日、初めて将軍徳川家治に拝謁した。

宝暦11年(1761年)10月16日、小姓組に列した。継氏系重氏流川勝家は、代々両番が出ており(番役筋)、旗本としての家格は比較的高かった。寛政11年(1799年)時点で年齢は60歳、役職は小姓組(四番)。屋敷は駿河台。没年不詳。次に家督を継いだ人物については不詳。

脚注

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参考文献

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  • 『寛政重修諸家譜(第18)新訂』続群書類従完成会、1981年
  • 石井良助監修、小川恭一編著『江戸幕府旗本人名事典(第1巻)』原書房、1989年


先代
氏方
川勝継氏系重氏流
6代:1760年 - 不詳
次代
不詳