川上善兵衛
川上 善兵衛(かわかみ ぜんべえ、1868年4月2日(慶応4年3月10日) - 1944年5月21日)は、新潟県上越市の岩の原葡萄園の創業者であり、「日本のワインの父」「日本のぶどうの父」「日本のワインぶどうの父」と呼ばれる[2][3]。
かわかみ ぜんべえ 川上 善兵衛 | |
---|---|
生誕 |
芳太郎[1] 1868年4月2日[1] (慶応4年3月10日) 越後国頸城郡北方村 (現 新潟県上越市)[1] |
死没 |
1944年5月21日(76歳没) (昭和19年5月21日)[1] |
死因 | 急性肺炎 |
国籍 | 日本 |
職業 | 岩の原葡萄園経営者 |
著名な実績 |
日本国産ワインの開発 ワイン用ブドウ品種の開発 |
岩の原ワインは、現在でも代表的な国産ワインとして人気が高い。
生涯
編集- 1868年 新潟県の北方村(現在の上越市)の大地主川上家の長男に生まれる。
- 1875年 父が病死したため、7歳で川上家の当主となる。木村容斎の塾に入り、漢学を学ぶ。
- 1882年 上京し、慶應義塾(現・慶應義塾大学)に入塾。
- 1890年 川上家と親交のあった勝海舟の勧めで、ブドウ栽培とワインの醸造を決意する。
- 発酵時の高温のために醸造に失敗するが、石蔵や地下水、上越地方の雪による冷却など、独創的な方法を試みてワイン作りに成功する。
- ブドウの品種改良にも取り組み、虫害や多湿に強い日本初の醸造用品種マスカット・ベーリーA (Muscat Bailey A)種を開発する。この他にも1940年の学会で川上の発表した品種は22品種に及ぶ[4]。
- 1941年 「交配による葡萄品質の育成」により民間人初の日本農学賞を受賞する。
- 1944年 急性肺炎のため76歳で死去。
受賞歴
編集- 「日本ワインコンクール(Japan Wine Competition)」[5]
- 第7回 2009年(平成21年)金賞受賞[6]
- 国内改良・赤、最優秀カテゴリー賞「岩の原ワイン マスカット・ベーリーA 2007」
- 第10回 2012年(平成24年)金賞受賞[7]
- 国内改良・白「岩の原ワイン レッド・ミルレンニューム 2011 白」
- 第13回 2015年(平成27年)金賞受賞[8]
- 国内改良・赤、部門最高賞「岩の原ワイン ヘリテイジ2013 赤」
- 国内改良・赤「岩の原ワイン マスカット・ベーリーA2013 赤」
- 第15回 2017年(平成29年)金賞受賞[9]
- 国内改良・赤、部門最高賞「岩の原ワイン マスカット・ベーリーA 2015」
- 第18回 2022年(令和4年)金賞受賞[10]
- 国内改良・赤「岩の原葡萄園 ヘリテイジ 2019」
出典・脚注
編集- ^ a b c d 川上 善兵衛(6代目)
- ^ “上越偉人探訪・川上善兵衛”. 上越市ホームページ (2011年6月28日). 2015年1月14日閲覧。
- ^ “わが国ブドウ育種の大恩人、川上善兵衛の信念”. 公益社団法人農林水産・食品産業技術振興協会. 2015年1月14日閲覧。
- ^ 日本醸造協会:「日本のワインぶどうの父、川上善兵衛」川上交雑品種一覧 (PDF, 844.6KB)
- ^ 「日本ワインコンクール(Japan Wine Competition)」2023年8月11日閲覧
- ^ Japan Wine Competition(日本ワインコンクール)2009 授賞ワインリスト日本ワインコンクール、2023年8月12日閲覧
- ^ Japan Wine Competition(日本ワインコンクール)2012 授賞ワインリスト日本ワインコンクール、2023年8月12日閲覧
- ^ Japan Wine Competition(日本ワインコンクール)2015 授賞ワインリスト日本ワインコンクール、2023年8月11日閲覧
- ^ Japan Wine Competition(日本ワインコンクール)2017 授賞ワインリスト日本ワインコンクール、2023年8月11日閲覧
- ^ Japan Wine Competition(日本ワインコンクール)2022 授賞ワインリスト日本ワインコンクール、2023年8月11日閲覧
関連文献
編集- 大井一郎「岩の原葡萄園」『日本醸造協会誌』第86巻第3号、日本醸造協会、1991年、210頁、doi:10.6013/jbrewsocjapan1988.86.210。