島田成重
島田 成重(しまだ なりしげ)は、戦国時代から江戸時代初期にかけての旗本。島田重次の次男。
時代 | 戦国時代 - 江戸時代前期 |
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生誕 | 永禄9年(1566年) |
死没 | 寛永3年8月15日(1626年10月5日) |
別名 | 右京亮(受領名) |
戒名 | 道本(法名) |
墓所 | 埼玉県坂戸市の永源寺 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川家康→結城秀康→忠直→徳川秀忠 |
藩 | 越前国福井藩 |
氏族 | 島田氏 |
父母 | 父:島田重次、母:多田慶忠の娘 |
兄弟 | 春世、成重、直時、利氏、利正 |
子 | 直次 |
生涯
編集父の領していた三河国矢作城にて生まれ、父と同じく徳川家康仕えるが、若年のうちに口論から人を討って出奔した。結城秀康およびその子松平忠直に仕え御番組衆として1千石を領し寄騎を率いた。忠直が元和9年(1623年)に将軍徳川秀忠により配流処分とされた後、寛永2年(1625年)に秀忠によって再度召され、鉄炮頭となって与力10名、足軽30名を預けられ、三河国において2千石の采地を賜ったとされている。
翌寛永3年(1626年)、太政大臣に任ぜられる秀忠に従って上洛した際に京都で没した。
島田陣屋
編集三河国設楽郡中市場において2千石を拝領した際に、旧三河代官屋敷を陣屋として入った。この陣屋は明治維新に至るまでの11代にわたって、代々島田氏の陣屋として使われた。土塁や石垣跡を現在でも残しており、「島田陣屋跡」として新城市の市指定史跡に指定されている。