島根県立益田翔陽高等学校
島根県益田市にある高等学校
(島根県立益田工業高等学校から転送)
島根県立益田翔陽高等学校(しまねけんりつ ますだしょうようこうとうがっこう, Shimane Prefectural Masuda Shoyo High School)は、島根県益田市にある県立の高等学校。
島根県立益田翔陽高等学校 | |
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北緯34度41分3.6秒 東経131度48分55.8秒 / 北緯34.684333度 東経131.815500度座標: 北緯34度41分3.6秒 東経131度48分55.8秒 / 北緯34.684333度 東経131.815500度 | |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 島根県 |
学区 |
全県学区 全国募集あり |
併合学校 |
島根県立益田産業高等学校 島根県立益田工業高等学校 |
校訓 | 創造・敬愛・誠実 |
設立年月日 | 2006年(平成18年)4月1日 |
共学・別学 | 男女共学 |
課程 | 全日制課程 |
単位制・学年制 | 学年制 |
設置学科 |
電子機械科 電気科 生物環境工学科 総合学科 |
学期 | 3学期制 |
学校コード | D132220400316 |
高校コード | 32138K |
所在地 | 〒698-0041 |
島根県益田市高津三丁目21番1号 | |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
概要
編集- 歴史
- 2006年(平成18年)に益田市内にあった県立高等学校2校(島根県立益田工業高等学校と島根県立益田産業高等学校)が統合され、益田産業高校に併置された。益田工業高校と益田産業高校の両校は2008年(平成20年)3月に最後の卒業生(2005年度(平成17年度)入学生)を送り出し閉校した。2011年(平成23年)に統合5周年を迎えた。
- 設置課程・学科・学区
- 全日制課程 4学科 全県学区(県内に身元保証人がいれば県外からも制限なく志願可能)
- 電子機械科
- 電気科
- 生物環境工学科
- 総合学科
- 生活文化・福祉系列 - 家庭生活、福祉に関する基礎的・基本的な分野を学習する。
- 食品科学系列 - 食品の加工・分析から流通に関する基礎的な分野を学習する。
- 校訓
- 「創造・敬愛・誠実」
- 同窓会
- 「島根県立益田翔陽高等学校同窓会」- 益田産業高校と益田工業高校の同窓会を統合して2009年(平成21年)に発足した。
沿革
編集前史・島根県立益田産業高等学校
- 1921年(大正10年)- 「島根県立益田農林学校」が開校。農林科を設置。
- 1933年(昭和8年)4月1日 - 農林加工科を新設。
- 1941年(昭和16年)4月1日 - 農林加工科を廃し、農林科を農科と林科の2科に分ける。
- 1947年(昭和22年)
- 4月1日 - 学制改革(六・三制の実施、新制中学校の発足)
- 農林学校の生徒募集を停止。
- 新制中学校を併設し(名称:島根県立益田農林学校併設中学校、以下・併設中学校)、農林学校1・2年修了者を新制中学校2・3年生として収容。
- 併設中学校は経過措置としてあくまで暫定的に設置されたため、新たな生徒募集は行われず、在校生が2・3年生のみの中学校であった。
- 農林学校3・4年修了者はそのまま農林学校に在籍し、4・5年生となる。
- 9月16日 - 島根県立農林専門学校[1]併設の農林学校となる。
- 4月1日 - 学制改革(六・三制の実施、新制中学校の発足)
- 1948年(昭和23年)4月1日 - 学制改革(六・三・三制の実施、新制高等学校の発足)
- 益田農林学校は廃止され、新制高等学校「島根県立益田農林高等学校」が発足。
- 農林学校卒業生(5年修了者)を新制高校3年生、農林学校4年修了者を新制高校2年生、併設中学校卒業生(3年修了者)を新制高校1年生として収容。
- 併設中学校は継承され(名称:島根県立益田農林高等学校併設中学校)、在校生が1946年(昭和21年)に農林学校へ最後に入学した3年生のみとなる。
- 定時制分校を3校(都茂・七日市・柿木村)設置。
- 益田農林学校は廃止され、新制高等学校「島根県立益田農林高等学校」が発足。
- 1949年(昭和24年)
- 3月31日 - 併設中学校を廃止(修業年限の旧制4~5年から新制3年への移行が完了)。
- 4月1日 - 高校三原則に基づく島根県内公立高校校の統合・再編により「島根県立益田高等学校 農業部」となる。
- 1950年(昭和25年)4月1日 - 農科・林科・農業土木科を農林科・農林工学科・農村経済科の3学科に改編。
- 1953年(昭和28年)4月1日 - 島根県立益田高等学校より分離し、「島根県立益田産業高等学校」として独立。匹見町に分校を新設(4分校体制となる)。
- 1955年(昭和30年)4月1日 - 農村経済科を廃止し、家庭科を新設。
- 1958年(昭和33年)4月1日 - 七日市分校に島根県立津和野高等学校の六日市分校を統合。
- 1960年(昭和35年)4月1日 - 七日市分校を全日制課程に切替える。
- 1962年(昭和37年)4月1日 - 園芸科を新設。
- 1963年(昭和38年)
- 4月1日
- 七日市分校が島根県立吉賀高等学校として分離・独立。
- 柿木分校を島根県立吉賀高等学校に移管。
- 匹見分校を全日制課程(普通科)に切替える。
- 4月1日
- 1965年(昭和40年)4月1日 - 商業科の募集を停止し、食品化学科を新設。都茂分校を全日制課程(普通科)に切替える。
- 1966年(昭和41年) - 高津の新校舎へ移転を完了。
- 1967年(昭和42年)
- 3月31日 - 商業科を廃止。
- 4月1日 - 「島根県立益田農林高等学校」(再)と改称。家庭科を家政科に改称。
- 1973年(昭和48年)3月31日 - 都茂分校を廃止し、本校に統合。
- 1974年(昭和49年)- 全国農業高校初の電子計算機を導入。
- 1976年(昭和51年)4月1日 - 農林工学科を農業土木科に改称。
- 1988年(昭和63年)3月31日 - 匹見分校を廃止し、本校に統合。
- 1991年(平成3年)4月1日 - 生物生産工学科・環境土木科・食品科学科の3学科を新設。農業科・園芸科の生徒募集を停止。
- 1993年(平成5年)3月31日 - 農業科・園芸科を廃止。
- 1996年(平成8年)4月1日 - 総合学科を新設し、「島根県立益田産業高等学校」(再)に改称。家政科の生徒募集を停止。
- 1998年(平成10年)3月31日 - 家政科を廃止。
- 2002年(平成14年)4月1日 - 食品科学科の募集を停止。
- 2004年(平成16年)3月31日 - 食品科学科を廃止。
- 2006年(平成18年)4月1日 - 全学科の生徒募集を停止。島根県立益田翔陽高等学校が併置される。
- 2008年(平成20年)
- 3月3日 - 閉校式を挙行。
- 3月31日 - 最後の卒業生(2005年度(平成17年度)入学生)を送り出し閉校。
前史・島根県立益田工業高等学校
- 1963年(昭和38年)4月1日 - 久城町300番地(北緯34度41分38.915秒 東経131度50分55.252秒 / 北緯34.69414306度 東経131.84868111度)に「島根県立益田工業高等学校」が新設される。全日制課程3学科(機械科・電気科・工業化学科)を設置。
- 1994年(平成6年)4月1日 - 機械科を電子機械科に改編。
- 2005年(平成17年)4月1日 - 工業化学科の募集を停止。
- 2006年(平成18年)4月 - 生徒募集を停止。
- 2007年(平成19年)3月31日 - 工業化学科を廃止。
- 2008年(平成20年)
- 3月1日 - 閉校式を挙行。
- 3月31日 - 最後の卒業生(2005年度(平成17年度)入学生)を送り出し閉校。
- 2012年(平成24年)11月10日 - 同窓会により工業高等学校跡地に「県立益田工業高等学校発祥の地」記念碑が除幕される。
なお、島根県立益田工業高等学校跡地(益田市久城町300番地)には益田広域消防本部庁舎が建設され2024年7月1日に移転した[2]。
統合・島根県立益田翔陽高等学校
部活動
編集運動部
文化部
著名な出身者
編集旧・益田産業高等学校
旧・益田農林高等学校
- 西島義則(ボートレーサー)
旧・益田工業高等学校
現・益田翔陽高等学校
- 村上奈穂(ボートレーサー)