山田 薫(やまだ かおる、1853年5月24日嘉永6年4月17日[1] - 1925年大正14年)8月17日[2])は、日本薬学者正四位勲三等[2]薬学博士[2]宮内省侍医療薬剤師[2]日本薬学会名誉会員[2]。薬剤師試験委員[2]。族籍は福井県士族[1][3]

人物

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福井県士族・山田小十郎の二男[3]1879年東京大学医学部製薬学科を卒業して製薬士称号を得た[4]1907年11月、薬学博士の学位を授与された[2]。住所は東京市牛込区払方町[1]

家族・親族

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山田家
  • 父・小十郎(福井士族)[3]
  • 兄・嘉源太(福井士族)[1]
  • 妻・ひろふ1857年 - ?、福井士族、徳山安兵衛の三女)[1]
  • 養子
    • 1881年 - ?、福井・佐々木清六の五男、養子・文の夫)[1]
    • 1887年 - ?、福井・徳山繁樹の五女、養子・鼎の妻)[1]
  • [1]

脚注

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  1. ^ a b c d e f g h 『人事興信録 第4版』や34頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2016年11月13日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g 『薬業年鑑 昭和10年』221頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2016年11月13日閲覧。
  3. ^ a b c 『人事興信録 第6版』や33頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年5月4日閲覧。
  4. ^ 『東京帝国大学一覧 明治27-28年』製薬士403頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2016年11月13日閲覧。

参考文献

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  • 『東京帝国大学一覧 明治27-28年』東京帝国大学、1886-1912年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第4版』人事興信所、1915年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第6版』人事興信所、1921年。
  • 薬石日報社編纂『薬業年鑑 昭和10年』薬石日報社、1935年。
  • 薬石日報社編『薬業年鑑 昭和14年度』薬石日報社、1938年。