山田四郎
山田 四郎(やまだ しろう、1869年1月10日(明治元年11月28日) - 1932年(昭和7年)12月4日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。位階勲等功級は正四位勲二等功二級[2][3]。
山田 四郎 | |
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生誕 |
1869年1月10日 周防山口藩 |
死没 | 1932年12月4日(63歳没) |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
軍歴 | 1891年 - 1923年 |
最終階級 | 陸軍中将 |
経歴・人物
編集長州藩士・山田甚五郎の次男として周防国に生まれ、1927年(昭和2年)兄の正太郎より家督を相続する[2]。
1891年(明治24年)陸軍士官学校第2期卒業[1][4]。翌年、陸軍歩兵少尉に任官する[2][5]。
第5師団副官、歩兵第11連隊大隊長、独立守備隊大隊長を経て、1913年(大正2年)1月に陸軍歩兵大佐・徳島連隊区司令官に任官[1][2][4]。
ついで、1914年(大正3年)1月に歩兵第43連隊長、1916年(大正5年)4月に歩兵第73連隊長を経て、1917年(大正6年)8月に陸軍少将・歩兵第12旅団長(第12師団)に補任され、シベリア出兵に従軍[1][4]。ハバロフスクおよびブラゴベシチェンスクを占領した[1]。
その後は、1920年(大正9年)8月に第12師団司令部附を経て、1922年(大正11年)8月に陸軍中将に進級と同時に待命、1923年(大正12年)3月に予備役に、1931年(昭和6年)4月に後備役に編入した[1][3][4]。
栄典
編集- 位階
- 勲章等
- 外国勲章佩用允許
- 金色エトアル附クロア・ド・ゲール勲章(en)[3]
脚注
編集参考文献
編集- 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738。
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026。
- 人事興信所『人事興信録 第8版』人事興信所、1928年 。