山宮 允(さんぐう まこと、1890年明治23年)4月19日 - 1967年昭和42年)1月22日)は、日本詩人英文学者日本詩人クラブ発起人の一人。

略歴

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山形県出身。山形県立荘内中学校(現・山形県立鶴岡南高等学校)から、第一高等学校に進む。一高時代からアララギの歌会に参加した。

1914年在学中に中心となって第三次『新思潮』を創刊、ほかに豊島与志雄山本有三、井出説太郎(土屋文明)、柳川隆之介(芥川龍之介)、草田杜太郎(菊池寛)、成瀬正一久米正雄佐野文夫松岡譲がいた。

1915年東京帝国大学英文科卒。

1917年、川路柳虹らと詩話会を結成、1918年から評論集『詩文研究』を上梓する。第六高等学校教授、東京府立高等学校教授、法政大学教授を務めた。ウィリアム・バトラー・イェーツウィリアム・ブレイクの翻訳紹介を行った。

1949年10月に日夏耿之介西條八十柳沢健らと共に日本詩人クラブを創立し、常務理事長を務めた。

1951年1月、母校である山形県立鶴岡南高等学校の校歌の作詞をする。

著書

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共著

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翻訳作品

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記念論集

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  • 近代詩の史的展望 / 山宮允教授華甲記念文集編纂会 河出書房 1954

親族

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参考文献

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  • 『山宮允著作選集 第三巻』山宮允著作選集刊行会、1966年。

脚注

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  1. ^ 『山宮允著作選集 第三巻』517頁。

外部リンク

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