山内氏固
山内 氏固(やまうち うじかた)は、江戸時代後期の土佐藩の重臣。10代宿毛領主。
時代 | 江戸時代後期 |
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生誕 | 寛政9年(1797年) |
死没 | 文久元年2月22日(1861年4月1日) |
改名 | 鉄治(幼名)→氏固 |
別名 | 通称:太郎左衛門 |
主君 | 山内豊資→豊熈→豊惇→豊信 |
藩 | 土佐藩 |
氏族 | 宿毛山内家 |
父母 | 父:山内保氏、母:加藤氏娘 |
兄弟 | 男子2人、氏睦、男子、氏固 |
妻 | 山内林高娘、山内左儀娘、高辻俊長娘 |
子 | 氏理 |
略歴
編集寛政9年(1797年)、8代宿毛領主・山内保氏の五男として宿毛にて誕生した。
文化8年(1811年)、兄・氏睦の死去により家督と知行6800石を相続し、宿毛10代領主となる。土佐藩奉行職として山内豊資、豊熈、豊惇、豊信の4人の藩主に仕えた。天保2年(1831年)、郷学校・講授館[1]を設置する。三宅大蔵を講授役として登用し、家臣子弟の教育、人材育成に当たらせた。
天保9年(1838年)、屋敷が幕府巡見使平岩七之助の宿舎となり、家老の孕石小左衛門以下、藩を挙げて供応に努めた。嘉永2年(1849年)、功績により500石の加増を受ける。嘉永7年(1854年)、安政南海地震で大きな被害を受けた領内の復旧に当たる。安政3年(1856年)、隠居して家督を嫡男の氏理に譲る。
系譜
編集脚注
編集出典
編集- 宿毛市史編纂委員会「宿毛市史」