尾崎吉弘

日本の政治家。元和歌山県和歌山市長

尾崎 吉弘(おざき よしひろ、1936年昭和11年〉8月16日[1] - 2024年4月23日)は、日本政治家和歌山市議会議員(3期)、和歌山県議会議員(4期)、第22代和歌山市長1995年 - 1998年)。子は和歌山県議会議員の尾崎太郎、和歌山市議会議員の尾崎方哉

尾崎 吉弘
おざき よしひろ
生年月日 (1936-08-16) 1936年8月16日
出生地 日本の旗 日本 和歌山県
没年月日 (2024-04-23) 2024年4月23日(87歳没)
出身校 和歌山県立桐蔭高等学校卒業
所属政党自由民主党→)
無所属
称号 藍綬褒章
親族 尾崎太郎(子)
尾崎方哉(子)

当選回数 1
在任期間 1995年12月3日 - 1998年12月1日
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経歴

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1936年昭和11年)8月16日和歌山県出身。和歌山県立桐蔭高等学校卒業後、和歌山市議会議員を経て和歌山県議会議員を務める。近畿都市国民健康保険者協議会会長、和歌山県議会経済警察委員会委員長などの要職を歴任し、1989年平成元年)に大江康弘らとともに県議在職10年以上の表彰を受け、1994年(平成6年)には県議在職15年以上の表彰を受けた。1992年(平成4年)4月29日地方自治の発展に貢献したとして藍綬褒章を受章[2]

1995年(平成7年)、旅田卓宗の辞職に伴う和歌山市長選挙(12月3日投開票)に自由民主党推薦で出馬し、新進党公明党推薦の浜田真輔を破って初当選した。選挙戦では各陣営が政党第41回衆議院議員総選挙立候補予定者の後押しを受け、「プレ衆院選」として注目された。市長在職中には、和歌山市中核市への移行を実現するとともに、「いのち ひかる 未来和歌山」のスローガンの下、和歌山市長期総合計画を策定した。

1998年(平成10年)9月の泉南市農協の不正融資事件を契機に、尾崎の指示で和歌山市土地開発公社が「買付証明書」を発行していたとの疑惑が浮上。11月2日、和歌山市職員の採用試験に絡む100万円の収賄容疑で大阪地検特捜部に逮捕され[3]加重収賄罪で起訴された。尾崎は和歌山市の顧問弁護士を通じて11月30日に辞職届を提出し、12月1日付で辞職[4]。後任の市長には旅田卓宗が再任した。

2024年4月23日、肝不全のため死去。87歳没[5]

脚注

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  1. ^ 『全国歴代知事・市長総覧』日外アソシエーツ、2022年、317頁。
  2. ^ 平成4年6月 和歌山県議会定例会会議録 第2号(尾崎吉弘議員の質疑及び一般質問)
  3. ^ 『読売新聞』1998年11月3日付朝刊、31面。
  4. ^ 『読売新聞』1998年11月30日付夕刊、2面。
  5. ^ 元和歌山市長の尾崎吉弘氏が死去…87歳”. 読売新聞オンライン (2024年4月24日). 2024年4月30日閲覧。

参考文献

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  • 『ことばは生命 県議会質問編』(尾崎吉弘後援会、1991年)