少弐資時
鎌倉時代の武将
少弐 資時(しょうに すけとき)は、鎌倉時代中期の武将。少弐経資の長男。壱岐国守護代。
壱岐市にある少弐資時像 | |
時代 | 鎌倉時代中期 |
生誕 | 弘長3年(1263年) |
死没 | 弘安4年6月29日(1281年7月16日) |
墓所 | 長崎県壱岐市芦辺町 |
官位 | 備中権守、贈従四位 |
幕府 | 鎌倉幕府 壱岐守護代 |
主君 | 惟康親王 |
氏族 | 少弐氏 |
父母 | 父:少弐経資 |
兄弟 | 資時、盛経[1]、時経、盛氏、貞資 |
生涯
編集文永11年(1274年)の文永の役で、叔父・少弐景資に従って12歳で初陣を果たした。弘安4年(1281年)の弘安の役では、祖父・資能や父・経資らと共に日本軍を率いて、壱岐島を占領する東路軍との奮闘の末、戦死する。享年19。
この壱岐島の戦いで敗退した東路軍は壱岐を放棄して、平戸島に移動した。後に叔父・景資は、鷹島で蒙古軍を殲滅した。大正4年(1915年)11月10日、従四位の位階が追贈された[2]。
壱岐神社・壱岐護國神社(壱岐市芦辺町)の祭神として祀られており、また、隣接する少弐公園には、「ショウニイさま」と呼ばれていた少弐資時の石積みの墓がある。
関連史跡
編集- 少弐資時の墓(壱岐市芦辺町瀬戸浦)
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少弐資時の墓
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小弐公園入口
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弘安の役古戦場
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碇石
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狼煙台
- 船匿城(ふなかくしじょう)
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その他
編集脚注
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