小田省吾

日本の歴史学者・教育者

小田 省吾(おだ しょうご、1871年5月2日 - 1953年12月12日)は、日本の歴史学者。専門は朝鮮史

小田 省吾
朝鮮咸鏡南道利原郡東面寺洞萬德山・福興寺(1929年)
人物情報
生誕 (1871-05-02) 1871年5月2日
日本の旗 日本三重県鳥羽市
死没 1953年12月12日(1953-12-12)(82歳没)
日本の旗 日本三重県鳥羽市
出身校 東京帝国大学
学問
研究分野 歴史学(朝鮮史)
研究機関 朝鮮総督府中枢院編纂課・京城帝国大学
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経歴

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1871年、三重県鳥羽市生まれ。1887年神宮皇學館に入学したがすぐに退学して上京し、国民英学会東京英語学校で学んだ。1899年に東京帝国大学文科大学史学科を卒業した後、長野県師範学校で教職に就いた。後に徳島県師範学校校長、奈良県立畝傍中学校校長、第一高等学校教授をつとめた。

1908年大韓帝国政府に招聘され、教育制度改革に従事[1]。教科書編輯課長として教科書の編纂などにあたった[2]日韓併合後の1918年には、朝鮮総督府中枢院編纂課長として朝鮮史の編纂にあたり、1923年には朝鮮史学会を創立した。1924年に京城帝国大学が設立されると教授として赴任した。1925年朝鮮史編修会委員となった。

1932年京城帝国大学教授を定年退職。1953年に郷里・鳥羽市にて83歳で死去。

受賞・栄典

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著作

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著書
  • 『朝鮮史要略朝鮮と山東』1915
  • 『朝鮮史大系』朝鮮史学会 1931
  • 『朝鮮小史』魯庵記念財団 1931
  • 朝鮮陶磁史文献考』学芸書院 1936年
  • 『辛未洪景来乱の研究』小田先生頌壽記念會、1934年
  • 徳寿宮史』1938年

脚注

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関連項目

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公職
先代
(新設)
  京城帝国大学予科部長
1924年 - 1927年
次代
戒能義重
先代
宗像逸郎
奈良県立畝傍中学校
1907年 - 1908年
次代
平田総一
先代
岩崎春二郎
徳島県師範学校長
1902年 - 1907年
次代
渡辺千治郎
その他の役職
先代
(新設)
淑明女子専門学校
1940年 - 1945年
次代
任淑宰朝鮮語版