小川 虎一(おがわ とらいち、1850年嘉永3年9月[1][2]) - 1916年大正5年)5月4日[2])は、日本の政治家衆議院議員(2期)。

経歴

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肥前国彼杵郡長浦村(のち長崎県西彼杵郡長浦村→琴浦村→琴浦町、現・長崎市)生まれ[1]大村藩五教館で学ぶ[2]。長浦村戸長、同村長、長崎県会議員となる[1][2]

1894年12月、家永芳彦の辞職による補欠選挙で長崎1区から立候補して初当選した。続く1898年3月の第5回衆議院議員総選挙では立憲自由党公認で立候補して再選した[3]。衆議院議員を2期務め、同年8月の第6回衆議院議員総選挙は不出馬。1916年に死去した。

脚注

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  1. ^ a b c 衆議院 編『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』衆議院事務局、1940年、80頁。NDLJP:1278238 
  2. ^ a b c d 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』106頁。
  3. ^ 『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』29頁。

参考文献

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  • 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』衆議院事務局、1940年。
  • 日本国政調査会編『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』国政出版室、1977年。
  • 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。