宮城山正見
宮城山 正見(みやぎやま まさみ、1889年10月13日 - 1961年3月26日[1])は、現在の宮城県大崎市出身で井筒部屋、関ノ戸部屋、再度井筒部屋に所属した力士。本名は佐久間 正見。5代芝田山。174cm、98kg。最高位は東小結。
経歴
編集駒ヶ嶽國力を頼って入門。所属は井筒部屋であったが、駒ヶ嶽の内弟子であった[2]。1908年5月初土俵、1916年1月新入幕、1918年1月新小結、1922年5月引退し、5代芝田山を襲名。1931年5月廃業した。
成績
編集- 通算29場所
- 関取20場所62勝73敗18休9分預
- 幕内13場所44勝62敗18休6分預
場所別成績
編集春場所 | 夏場所 | |||||
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1908年 (明治41年) |
x | 西序ノ口19枚目 – |
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1909年 (明治42年) |
西序二段31枚目 – |
西序二段35枚目 – |
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1910年 (明治43年) |
西三段目52枚目 – |
西幕下57枚目 – |
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1911年 (明治44年) |
西幕下62枚目 –[3] |
東幕下21枚目 – |
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1912年 (明治45年) |
西幕下5枚目 4–1 |
東十両11枚目 2–2 1預 |
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1913年 (大正2年) |
東幕下2枚目 3–1 1分 |
西十両15枚目 3–2 |
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1914年 (大正3年) |
西十両8枚目 2–3 |
東十両13枚目 3–2 1預 |
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1915年 (大正4年) |
東十両8枚目 4–1 |
西十両3枚目 4–1 1預 |
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1916年 (大正5年) |
東前頭15枚目 3–2–3 2預 |
東前頭11枚目 3–6 1分 |
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1917年 (大正6年) |
西前頭10枚目 6–3–1 |
西前頭2枚目 6–3 1分 |
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1918年 (大正7年) |
東小結 2–7–1 |
東前頭5枚目 6–2–1 1預 |
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1919年 (大正8年) |
東小結 2–8 |
東前頭8枚目 7–3 ★ |
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1920年 (大正9年) |
東前頭2枚目 2–8 |
西前頭11枚目 3–7 |
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1921年 (大正10年) |
西前頭11枚目 2–6–1 1預 |
東前頭11枚目 2–7–1 |
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1922年 (大正11年) |
西前頭16枚目 0–0–10 |
西十両2枚目 引退 0–0–0 |
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各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。 優勝 引退 休場 十両 幕下 三賞:敢=敢闘賞、殊=殊勲賞、技=技能賞 その他:★=金星 番付階級:幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口 幕内序列:横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列) |
- 幕下以下の地位は小島貞二コレクションの番付実物画像による。
改名
編集一ノ駒→宮城山(1911年1月場所-) [4]
脚注
編集- ^ https://web.archive.org/web/20010109020800/http://www.fsinet.or.jp/~sumo/profile/1/19160103.htm
- ^ ベースボールマガジン社『大相撲名門列伝シリーズ(3) 高砂部屋』p37
- ^ 西幕下最下位。
- ^ 大相撲力士名鑑平成13年版、水野尚文、京須利敏、共同通信社、2000年、ISBN 978-4764104709