宮原義潔
日本の江戸時代中期~後期の武士。江戸幕府旗本宮原義汨長男で、高家宮原氏7代当主(上総宮原氏9代当主)。従四位下侍従・長門守。高家肝煎を勤める
宮原 義潔(みやはら よしきよ、延享4年(1747年) - 文化6年10月19日(1809年11月26日))は、江戸時代中期から後期の高家旗本。高家旗本・宮原義汨の長男。通称は勘五郎。官位は従四位下・侍従、長門守。
宝暦11年(1761年)12月9日、将軍徳川家治に御目見する。明和元年(1764年)8月13日、父の隠居により家督を相続する。安永2年(1773年)8月12日、高家職に就任し、従五位下・侍従・和泉守に叙任する。後に長門守に改める。寛政2年(1790年)7月20日、従四位下に昇進する。文化元年(1804年)12月11日、高家肝煎に就任する。文化3年(1806年)12月6日、病気を理由に高家肝煎を辞職し、文化6年10月19日(1809年11月26日)に63歳で逝去した。