宮原 義利(みやはら よしとし、宝暦10年3月23日(1760年5月8日) - 文化2年6月19日(1805年7月15日))は、江戸時代後期の旗本。宮原義汨の三男で、兄の宮原義潔の養子。通称は辰三郎、後に勘五郎。諱は初め氏利、後に義利。
天明5年(1785年)に勘五郎義利と称す。文化2年(1805年)に46歳で逝去して、甥である養子の義周が後を継いだ。法号は本源院自山見性。
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