室鳩巣
1658-1734, 江戸時代中期の儒学者
室 鳩巣(むろ きゅうそう、万治元年2月26日(1658年3月29日) - 享保19年8月12日(1734年9月9日))は、江戸時代中期の儒学者。室玄樸の子。諱は直清、字は師礼、通称は新助(信助とも)、駿台先生。号は鳩巣・滄浪。
肖像画 | |
人物情報 | |
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生誕 |
万治元年2月26日(1658年3月29日 日本・武蔵国谷中村(現・東京都台東区谷中) |
死没 |
享保19年8月12日(1734年9月9日(76歳没)) 日本 |
国籍 | 日本 |
両親 | 父:室玄樸 |
学問 | |
時代 | 江戸時代中期 |
研究分野 | 儒学 |
主な受賞歴 | 従四位 |
生涯
編集万治元年(1658年)、室玄樸の子として、武蔵国谷中村(現在の東京都台東区谷中)で生まれる。
寛文12年(1672年)、金沢藩に仕え、藩主前田綱紀の命で京都の木下順庵の門下となる。正徳元年(1711年)、新井白石の推挙で、江戸幕府の儒学者となる[1]。
享保19年(1734年)、死去。墓所は文京区大塚先儒墓地。
業績
編集徳川家宣、家継、吉宗の3代に仕え、幕府より駿河台に屋敷を与えられ献策と書物の選進を行った。吉宗期にはブレーンとして享保の改革を補佐し、湯島聖堂において朱子学の講義を行った。また、幕臣への学問奨励のため吉宗の命を受けて八重洲河岸に開設された高倉屋敷でも講義を行っている[3]。赤穂事件において赤穂浪士への処罰をめぐり浪士を擁護したことでも知られる。
著作に『五常名義』、『五倫名義』、『駿台雑話』、『赤穂義人録』、『兼山麗澤秘策』[注 1]、『六諭衍義大意』など。門下に中村蘭林・中根東里・河口静斎・大地奚疑・浅岡芳所・室勿軒・伊東澹斎・奥村修運・青地斎賢・青地礼幹・小谷継成・河口仲賓・児玉図南・蘆野東山などがいる。
著作(近現代の刊行)
編集室鳩巣を演じた俳優
編集関連項目
編集- 駿河台 - 現在の明治大学駿河台キャンパスアカデミーコモン付近に屋敷を構えていた[4]。
脚注
編集注釈
編集出典
編集- ^ 川平敏文 (2024), pp. 28–30.
- ^ 田尻佐 (1975), p. 26「特旨贈位年表」
- ^ 古代・中近世史 総論 外務省、2022年9月6日閲覧。
- ^ 第2回 明治大学小史展 神田・お茶の水と明治大学
参考文献
編集- 田尻佐 編『贈位諸賢伝』(増補版・上)近藤出版社、1975年。
- 福留真紀『将軍と側近:室鳩巣の手紙を読む』新潮社〈新潮新書598〉、2014年12月。ISBN 978-4-10-610598-2。
- 山本嘉孝『詩文と経世:幕府儒臣の十八世紀』名古屋大学出版会、2021年10月。ISBN 978-4-8158-1043-6。
- 川平敏文『武士の道徳学:徳川吉宗と室鳩巣『駿台雑話』』KADOKAWA〈角川選書671〉、2024年6月。ISBN 978-4-04-703722-9。