安住寺 (恵那市)

岐阜県恵那市にある臨済宗妙心寺派の寺院

安住寺(あんじゅうじ)は、岐阜県恵那市明智町杉野にある臨済宗妙心寺派寺院山号久昌山(きゅうしょうざん)、本尊釈迦如来[1]恵那三十三観音霊場十九番。

安住寺
所在地 岐阜県恵那市明智町杉野1060
位置 北緯35度19分22.5秒 東経137度24分03.2秒 / 北緯35.322917度 東経137.400889度 / 35.322917; 137.400889座標: 北緯35度19分22.5秒 東経137度24分03.2秒 / 北緯35.322917度 東経137.400889度 / 35.322917; 137.400889
山号 久昌山
宗派 臨済宗妙心寺派
本尊 釈迦如来
創建年 大永5年(1525年
開山 柏庭宗松
開基 遠山景行 または 安住寺尼
正式名 久昌山 安住寺
札所等 恵那三十三観音霊場十九番
法人番号 4200005009459
安住寺の位置(岐阜県内)
安住寺
安住寺
安住寺 (岐阜県)
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歴史

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大永5年(1525年)、明知城主であった遠山景行によって創建されたと伝わる。[1][2]

永禄年間(1558年~1570年)の始めに、以前からあった小庵を景行の室の安住寺尼が、安住寺として開基したという説もある。[3]

開山本如実性とされるが[2]、実際には法嗣で三河国東加茂郡萩平に三玄寺を開山した柏庭宗松とする説がある[1]

元亀元年(1570年)、遠山景行が上村合戦に敗れて自害した後に、首級が密かに運ばれて埋葬されたと伝えられており、寺の敷地には景行と妻の安住寺尼の墓所があって、頭部の疾患に霊験があるとされている[1]

慶長年間には、江戸幕府交代寄合となった遠山利景が杉平村の内から十二石余を寺領として寄進している。

江戸時代の末期と明治元年(1868年)の二回、火災により全山を焼失し、後に再建されている[1]

昭和50年(1975年)12月1日、遠山景行の墓は旧・明智町の文化財に指定された。

平成16年(2004年)明智町が恵那市への合併に伴い、恵那市指定文化財となった[4]

恵那三十三観音霊場では十九番札所となっており、聖観世音菩薩を祀っている[2]

脚注

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  1. ^ a b c d e 全国寺院名鑑(1969)、岐阜県-36
  2. ^ a b c 恵那三十三観音霊場めぐり”. 恵那市観光協会. 2018年12月24日閲覧。
  3. ^ 明智町誌 p376
  4. ^ 恵那市文化財マップ” (PDF). 恵那市 (2018年8月23日). 2018年12月24日閲覧。

参考文献

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  • 『明智町誌』 第六編 文化 第二章 宗教 第二節 寺院 p375~p379 明智町 1960年
  • 『恵那郡史』 第八篇 現代 第四十一章 人文の発展(一) 【各宗寺院】 p612~p619 恵那郡教育会 1926年
  • 『岩村町史』 一三、岩村城主諸氏の交替 (二)遠山景行と遠山塚 安住寺碑 p162~p163 岩村町史刊行委員会 1961年
  • 『全国寺院名鑑』  全日本仏教寺院名鑑刊行会 1969年

関連項目

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