嬉野市立轟小学校

佐賀県嬉野市にある小学校

嬉野市立轟小学校(うれしのしりつ とどろきしょうがっこう)は、佐賀県嬉野市嬉野町岩屋川内乙にある市立小学校

嬉野市立轟小学校
地図北緯33度05分07.4秒 東経129度58分42.6秒 / 北緯33.085389度 東経129.978500度 / 33.085389; 129.978500座標: 北緯33度05分07.4秒 東経129度58分42.6秒 / 北緯33.085389度 東経129.978500度 / 33.085389; 129.978500
過去の名称 嬉野町立轟小学校
国公私立の別 公立学校
設置者 嬉野市
併合学校 嬉野町立不動小学校
嬉野町立嬉野小学校上岩屋分校
設立年月日 1990年平成2年)4月1日
共学・別学 男女共学
学期 3学期制
学校コード B141220900092 ウィキデータを編集
所在地 843-0304
佐賀県嬉野市嬉野町岩屋川内乙2597番地
外部リンク 公式サイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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概要

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歴史
1990年平成2年)に嬉野町立嬉野小学校から分離する形で、新設された。校区は旧・嬉野町立不動小学校と旧・嬉野町立嬉野小学校上岩屋分校を統合。現校名になったのは2006年平成18年)。2025年令和7年)に創立35周年を迎える。
校章
中央に校名の「轟」を配している。
校区
嬉野市嬉野町のうち「湯野田、下不動、中不動、大舟、上不動、丹生川、俵坂、上岩屋(鹿谷地区[1]を除く)、下岩屋一区、下岩屋二区、下岩屋三区」。中学校区は嬉野市立嬉野中学校[2]

沿革

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旧・不動小学校
  • 1875年(明治8年)2月 - 不動山村字大船に「不動小学校」が創立。
  • 1879年(明治12年)5月 - 統合により「藤津郡第七区 公立嬉野小学校 不動分校」となる。
  • 1886年(明治19年)5月 - 校舎を中不動に移転。「公立嬉野小学校 狩立分校」が設置される。
  • 1887年(明治20年)- 小学校令施行により、「尋常嬉野小学校 不動分校」・「尋常嬉野小学校 狩立分校」に改称。
  • 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、藤津郡下宿村と不動山村が合併し、西嬉野村が発足。
  • 1892年(明治25年)4月 - 「嬉野尋常小学校 不動分校」・「嬉野尋常小学校 狩立分校」に改称。
  • 1894年(明治27年)1月 - 嬉野尋常小学校から分離の上、「不動尋常小学校」として独立。狩立分校を移管される。
  • 1903年(明治36年)11月 - 校舎を移転。
  • 1905年(明治38年)8月 - 農業補習学校が併置される。
  • 1906年(明治39年)- 狩立分校を狩立分教場とする。
  • 1907年(明治40年)- 東西嬉野学校組合が解消され、西嬉野村立の小学校となる。
  • 1908年(明治41年)- 改正小学校令により、尋常科が4年制から6年制に変更となる。
  • 1909年(明治42年)6月 - 狩立分校の校舎を瓦葺きにする。
  • 1913年大正2年)6月 - 新校舎が完成。
  • 1919年(大正8年)6月 - 狩立分校が移転。
  • 1928年昭和3年)9月 - 狩立分校の運動場を拡張。
  • 1929年(昭和4年)4月22日 - 西嬉野村が町制施行により、嬉野町となる。これにより嬉野町立の小学校となる。
 
不動小学校跡(不動ふれあい体育館)
 
不動小学校跡を表す碑


旧・嬉野小学校上岩屋分校


轟小学校
  • 1990年(平成2年)4月1日 - 嬉野町立嬉野小学校から分離される形で、「嬉野町立轟小学校」が開校。
    • 旧・嬉野町立不動小学校と旧・嬉野町立嬉野小学校上岩屋分校の校区を統合。
  • 2006年(平成18年)1月1日 - 市町村合併により、「嬉野市立轟小学校」(現校名)に改称。

交通

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最寄りの鉄道駅
最寄りの幹線道路

周辺

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  • 嬉野学校給食センター
  • 轟の滝公園・球場
  • うれしの茶交流館「チャオシル」
  • 不動山簡易郵便局
  • 熊野神社
  • 岩屋川内川
  • 塩田川

脚注

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  1. ^ 鹿谷地区は嬉野市立大野原小中学校区となっている。
  2. ^ 嬉野市立小中学校通学区域一覧 - 嬉野市ウェブサイト

参考資料

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  • 「嬉野町史 下巻」(1979年(昭和54年)11月, 嬉野町史編さん執筆委員会)p.342~p.343
  • 「不動校を偲ぶ 不動小学校閉校記念誌」(1990年(平成2年)3月25日, 不動小閉校記念実行委員会)

関連項目

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外部リンク

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