大蕤娘
飛鳥時代から奈良時代の女性。天武天皇の夫人。正三位、贈正二位
大蕤娘(おおぬのいらつめ、? - 神亀元年7月13日(724年8月6日))は、飛鳥時代から奈良時代にかけての女性。蘇我赤兄の娘。石川夫人とも。
生涯
編集蘇我赤兄の娘として誕生。
夫の大海人皇子が天武天皇として即位した天武天皇2年(673年)2月に夫人となる。穂積親王・紀皇女・田形皇女を生んだ。天武天皇15年(686年)4月27日には託基皇女と共に伊勢神宮に遣わされる(5月9日の説も有る)。大宝4年(704年)1月には封百戸を加増、その後正三位となった(具体的な年月日は不明)。
神亀元年(724年)に薨去。生年は不明であるが、子女たちが天武朝初期に生まれたことなどから、70歳前後と推定される。正二位を贈られた。
事績には不明な点が多いが、数多くいた天武天皇の妻たちの中で最も没年の遅い人物である。