大舘政重
大舘 政重(おおだち まさしげ)は、室町時代後期(戦国時代)の武将。大舘教幸の子。従兄弟に武家故実家として知られる大舘尚氏がいる。
時代 | 室町時代中期 - 戦国時代 |
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生誕 | 宝徳2年(1450年)11月18日 |
死没 | 永正2年(1505年)4月8日 |
別名 | 次郎(仮名) |
官位 | 従四位下、刑部大輔、陸奥守 |
幕府 | 室町幕府奉公衆・御供衆 |
氏族 | 大舘氏 |
父母 | 父:大舘教幸 |
子 | 政信 |
生涯
編集大舘氏は代々、室町幕府奉公衆の五番衆番頭を務めた家柄。政重は、宝徳2年(1450年)11月17日に父・教幸が31歳で急死した翌日に誕生した(「大館持房行状」)。応仁元年、祖父持房の後見を受けて8代将軍足利義政に出仕し、義政が隠居後、東山に居を移した際には、これに従った。政重は義政の御供衆であり申次であった(「宗五大草紙」)ため、長享元年の将軍・義尚の六角高頼征伐(長享・延徳の乱)の際には、番衆から離れ、大御所の義政に近侍した(「長享元年 九月十二日常徳院殿樣江州御動座當時左陣衆着到」)。
延徳3年(1491年)の将軍・義材の六角高頼征伐(長享・延徳の乱)には、五番衆番頭として参加(「蔭涼軒日録」延徳3年8月27日条)。延徳4年(1492年)7月までに陸奥守に任じられる(「蔭涼軒日録」延徳4年7月4日条、および「長禄二年以来申次記」)。明応6年(1497年)3月26日に従四位下に昇る(「歴名土代」)。永正2年(1505年)4月8日没(「実隆公記」)。
参考文献
編集- 「大館持房行状―故総州太守源持房景龐院殿高門常誉禅門行状― 」(三浦周行『日本史の研究 新輯三』 岩波書店、1982年)