大田原政継
大田原 政継(おおたわら まさつぐ)は、江戸時代前期の武将。下野国那須郡森田大田原氏(交代寄合)の二代目当主。
時代 | 江戸時代 |
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生誕 | 慶長18年(1613年) |
死没 | 天和3年3月13日(1683年4月9日) |
別名 | 出雲、掃部 |
戒名 | 宗徳 |
墓所 | 芳朝寺 |
氏族 | 大田原氏 |
父母 | 父:大田原増清 |
妻 | 大田原晴清娘 |
子 | 政増、政乗、小長谷時光、政治、岡本義住室 |
略歴
編集森田大田原氏の創始大田原増清の子として生まれる。
元和7年(1621年)5月5日に9歳で徳川秀忠に謁見。寛永8年(1631年)19歳にて森田大田原氏の家督を継ぐ。寛永17年(1640年)に今市御舘の修造を務めたのをきっかけに、しばしば日光山普請を請け負う。
参考文献
編集- 森田大田原氏系譜